宮川政運『宮川舎漫筆』巻之五「幽霊の間違」より

幽霊の帰還

 筆者の母方の叔父は講談師であったが、甲州に遊歴したとき夫のある女を連れ出して、ややこしいことになった。もめたあげく訴訟沙汰になりそうだったので、叔父も女も江戸を立ち退き、しばらく身を隠した。
 叔父の母親である祖母は嘆き悲しみ、いろいろ手を尽くして探したけれども、行方は知れない。占いに頼り、御籤を引いても分からず、もしや海・川に身を投げたかと、心配でたまらなかった。

 その後、ある人が、
「四谷大木戸の先の寺の墓所に、心中者の亡骸が置かれてあるらしい」
と教えたので、すぐさま四谷へ行ったところ、もはや検視が済んで埋葬が終わったあとだった。
 やむなく、心中者はどんな様子だったかと尋ねたところ、背格好から衣類にいたるまで本人と少しの相違もなかった。そのうえ、女のほうは甲州から駆け落ちするときに六寸ばかりの鏡一面を持ち出していたが、その鏡もあった。いよいよ間違いない。若気の至りとは言いながら、かわいそうな死を遂げたものだ。
 もはやどうしようもないので、少しゆかりの者だと言って、寺に回向を頼み、戒名を貰い、泣く泣く家に戻った。

 追善の法事をいとなみ、七日七日の供養も懇ろに執り行ううち、月日は過ぎて、はや百日の忌日となった。筆者の家でも父母が、心ばかりの供養として萩餅を用意していた。
 そのとき、玄関の障子が細目に開いて、叔父が顔を出した。痩せ衰え、顔青ざめ、髪を振り乱して、
「いま戻ったよ」
と言うのを、母が振り返り見て驚き、
「あっ、幽霊が…」
と騒いだ。
 祖父が押っ取り刀で駆けつけて、
「お、おまえ…、いまだこの世に迷うとは情けない。生者必滅のことわりを知れ。はやく往生を遂げよ」
と言うと、叔父は笑い出した。
「おれは死んだ覚えはないよ。いったいどうしたんだ」
 それでも皆、驚き恐れるばかり。祖父が叔父の脈をとって、はじめて生きて帰ったと分かり、大いに喜んで、互いに笑いあった。

 祖父や父母は、叔父が江戸を立ち退いて以来のことを語った。
「しかじかのしだいで、おまえは心中したと信じ込んでいた。今日は百ヵ日にあたるので、供養の餅をこしらえていたところへ戻ってきたから、てっきり幽霊と思ったのだ。それはそうと、連れの女はどうしたのか」
「あれは、たいへんな淫婦だったよ。江戸を出て、知り合いを頼って水戸へ行ったが、そこで三日もたたぬうちに近所の若い者と通じ、そいつと駆け落ちしてしまった。そのころ、おれは瘧(おこり)を患って苦しみ、やっとのことでここまで帰り着いたのだ」
 叔父の話で大体の事情は分かったが、一つ不可解なことが残った。
 この日以前、家族が一心に念仏を唱えて回向していたとき、自然と仏前の鈴が鳴ったことがあった。これは、哀しみの虚に乗じて狐狸が妖をなしたのだろうか。それとも、たまたま居合わせた何処の誰とも知れない霊が、追善供養を懇ろに執り行うのを喜んで、しるしを見せたのだろうか。なにはともあれ、不思議なことではないか。
あやしい古典文学 No.1663