『片仮名本・因果物語』下「愛執深き僧、蛇と成る事」より

蛇僧

 下総国結城の高顕寺に、恩貞という若い僧がいた。生まれは尾張の折津で、義恩長老の弟子であった。
 あるとき、九州から来て館林の善長寺に滞在していた周慶という僧が、高顕寺の夏の修行に参加して、恩貞に恋慕した。
 周慶は、恋の激情に取りつかれた末に病を発し、善長寺に戻された。しかし、想いはいよいよつのり、寝床に伏して起き上がれなくなった。
 病状を気遣って、恩貞が古い袷(あわせ)を送ってくれたが、それを引き裂き引き裂き喰い尽くすなどして、日ごと夜ごとに重患となった。
 やがて危篤状態となるも、なかなか死にきれなかった。限りなく苦しむのを見て、善長寺の泉牛長老は、恩貞の師匠に仔細を告げ、恩貞を呼び寄せて引き合わせた。
 周慶は恩貞の手を取り、眼をひん剥いて悦んで、たちまち死んだ。

 その後のこと。
 恩貞の寝ている蒲団の下に、何やら動くものがあったので、振るってみると、白い蛇だった。そんなことが一度ではなく、六七度までは殺して捨てたけれども、絶えることなく続いた。
 結局、恩貞は関東の地にいたたまれず、尾張に帰った。それでも周慶の面影が身に寄り添うようで怖気立ち、煩いついた。
 しだいに弱り、ついに死んだが、その最期のときにも、布団の下に白蛇がいた。

        *

 これも関東でのこと。
 守求iしゅぎん)という僧が、若い僧に恋慕した。守汲フ愛執は蛇となり、若い僧の寮の窓からじっと覗き見た。
 若い僧は、その蛇の目を錐で突いた。と、隣の寮に居た守汲ェ「あっ!」と叫んだ。片目が、突然に潰れたのだった。
 こののち、守汲ヘ各地を修行行脚したが、「蛇守求vと呼ばれた。
 天正年間のことである。
あやしい古典文学 No.1670