瑞竜軒恕翁『虚実雑談集』巻之一「韮の園化けものの事」より

韮の園

 陸奥国盛岡の侍で、長谷川某とかいう人が、病中の身で、ある夜、
「韮の入った粥を食いたい」
と従者に言いつけ、屋敷内の韮の多く生えた場所へ摘みにやった。
 従者は出かけたが、なぜかむやみに身の毛がよだって足が進まず、引き返して他の者を行かせた。しかし、その者も足が竦んで戻ってきた。
「情ない下郎どもめが…。わしが行ってこよう」
 今度は台所を差配する者が行ったが、先の者たち以上に怖気づいて、逃げ帰った。

 家臣の長老が、怖じて誰も行かない旨を主人の長谷川某に報告すると、主人は気短な人で、
「そんな馬鹿なことがあってたまるか」
と言って、自ら出かけた。
 しかし、やがて足に重い物を付けたように、動けなくなった。懸命に刀を抜き、虚空をひたすら斬り払いなどしながらじりじりと歩み、やっとのことで韮をわずか二三茎抜いて立ち戻ったが、
「それ、韮だ」
と手渡すなり、倒れ伏して気を失った。見れば、刀に血がつき、衣類にも、顔・手・足にも、血がおびただしく付着していた。

 薬を与え、やや息が戻って、主人は言った。
「何かしら身の毛がよだってやまず、足は米俵を付けたように重かったが、『なんとしても』との思いから、刀を抜き、空を斬り払って進んだ。霧雨が降りかかるような気がしたが、あれは血だったのだな」と。
 家来たちは火をともして、韮のあるところを見に行った。しかし、血の跡が多くあるばかりで、斬られたはずの妖物は何処へ行ったか知れなかった。
 主人は、その後ついに病が癒えず、死んだとのことだ。
あやしい古典文学 No.1672