石塚豊芥子『街談文々集要』巻一「怪談二箇話」より

火見番墜落

 文化元年七月二十八日、松平讃岐守上屋敷にて、火見櫓の番人が地面に墜落して死んだ。
 死体を見ると、全身が熊手で掻き破られたようで、顔の皮が剥がれ、腸が大量に飛び出しており、天狗の仕業か、あるいは幽霊の怪異とも噂された。

 別に一奇事があって、小川町あたりで、大森殿の飼い猫が変化して人を脅かすと、風説がしきりだ。
 その猫を捕らえようとしても、なかなかにたやすいことではない。
 そうするうちにも近辺の三つの屋敷でさまざまの怪事が起こるので、大森家から、次のような回覧を回した。
「廻状をもって申し上げます。各様ご清栄にご勤仕なされ、珍重に存じおります。さて、拙者屋敷の黒毛の飼い猫に最近奇怪の行状があり、捕らえようとしたところ、この四五日姿が見えず、もしやご近所様へ参り、怪しきふるまいを為しおるかと存じ、心得のため、この旨申し上げます。以上」

 この回覧によって、火見櫓の番人は、もしやこの猫に抓まれたのではないかとの風説も立った。
 そこで、讃岐守上屋敷に赴いて真偽を尋ねたところ、屋敷の人が言うには、
「朝の八時ごろ番人の交代があって、役目が終わった足軽が見ると、かの男は櫓の端に尻をかけていた。『貴殿は危ないお人だな』と言いながら櫓を下りていったが、ほどなく尻をかけていた男が仰向けざまに落ち、庇で顔を擦って皮が剥がれ、窓庇の銅瓦で腹を突き破り、下の敷石で五体すべて傷ついて腸がおびただしく出た。日中に天狗や猫の怪異があるはずもない」
とのことだった。
 いずれにせよ、番人が櫓から落ちて死んだのは事実のようだ。猫の怪だったかどうか、それは分からない。
あやしい古典文学 No.1673