藤岡屋由蔵『藤岡屋日記』第九より

生首櫓

 四谷御門内の火消屋敷は、天保五年七月下旬の連夜、たびたび震動し、火見櫓が激しく動揺した。
 三日目の夜はとりわけ櫓の揺れが甚だしく、見張りの火消同心二名は、怪我をするのを危ぶんで、しばらく櫓の中段まで降りて様子を見た。やがて震動もおさまってきたので、また櫓上に登ったところ、そこに女の生首が一つ置かれてあった。
 二人とも驚き、顛末をありのままに与力に届け出た。与力がすぐにやって来て確かめたが、まぎれもなく生首であったため、定火消役 本多六郎に報告し、あれこれと手配をしているさなか、隣家の浅川造酒之允の家来が来て、密かに与力に話をした。
「じつは主人 造酒之允の奥方が、一昨日頓死いたしました。夜になって、沐浴を施そうと、死人の枕もとに立てまわした屏風をのけて見ますと、死骸がなくなっておりました。屋内はもちろん、敷地のいたるところを捜しても見つかりません。一同当惑し、近隣をも尋ね回っているところですが、そこで耳にしましたのは、この御屋敷内で女の首が見つかったとのこと。もしや主人の奥方ではないかとも思われます。内々にお見せいただくわけにはまいりませんか」

 与力の計らいにより、家来が首を見たところ、間違いなく浅川造酒之允の奥方だった。与力は、引き渡してくれるよう頼まれるまま、渡してやったとのことだ。
 ただし、櫓上にあったのは生首ではなく、女の全身の死骸だともいい、定かではない。
あやしい古典文学 No.1674