上野忠親『雪窓夜話抄』巻之一「西野午之進が甥の事」より

甥天狗

 西野午之進という人がいた。
 かつては讃岐にいたとのことで、その当時、午之進の甥に三四歳ばかりの小児があった。

 ある日の暮方、小児は乳母に抱かれて門外で遊んでいた。
 そこへ、どこの何者とも知れない山伏が一人来て、小児をつくづくと見て、
「さても良い生まれつきの子じゃ。いかにも優れた相の備わった子なるぞ。よく見せてくれよ」
と抱こうとした。
 乳母が何気なく抱かせてやると、山伏はそのまま鳥のごとく飛び去った。乳母は泣きわめきながら追いかけたが、たちまち見失ってしまった。
 話を聞いた父母も午之進も大いに驚き、四方へ人を走らせて捜し求めた。しかし、ついに見つけ出すことはできなかった。

 それから十五六年経ったとき、三四人の山伏が訪ねてきて、午之進に面会を求めたので、不審に思いながらも請じ入れた。
 上席に着いた山伏が、同行の若い者を指して言った。
「この者は、まさしく貴殿の甥である。成長のほどをお見せしようと、召し連れて参った。よくよく見たまえ」
 午之進は感涙にむせびながら甥の手を取った。さらに父母にも会わせて、喜びあった。
 せめて一両日は逗留するよう引き留めたけれども、山伏らは、
「我らは人家に宿る者ではない」
と辞退した。
 火を通したものは食わないというので、瓜などふるまって帰らせた。

 その後、午之進は因幡国に来て、官に仕えていた。
 あるとき、湯処の百姓が摩尼山に薪を取りに行って、七八人連れの山伏に出逢った。彼らは摩尼の奥の院、立石のあたりに休んでいた。
 一人の山伏が、百姓に尋ねた。
「当国に西野午之進という人がいるであろう。今もお元気か」
「はい。お達者でおられます」
「では、『変わらず武運長久を祈念しております』と、午之進殿に伝えてくれまいか」
「たやすいことでございます。しかし、お名前を承ってお伝えしたいものですが…」
「名は言うに及ばない。我は午之進殿の甥ゆえ、そう言えばわかるだろう。たださりげなく伝えてくれ」
 そう言って、山伏は去った。
 百姓が言われたとおり伝言すると、午之進は深くうなずいた。
「我が甥は、たしかに天狗になったのだ。そうか、この国にも来たのだな…」と。
あやしい古典文学 No.1677