平秩東作『怪談老の杖』巻之一「水虎かしらぬ」より

堀端の子供

 小幡一学という浪人がいた。戦国の武将小幡上総之介信貞の子孫ともいい、なるほど人柄がすぐれ、学問もあり、武術もあれこれの流儀を極めた人だった。

 一学は若い時分、小川町あたりの某家の食客のようになっていたことがあった。
 ある日、用事があって桜田まで行き、日が暮れてから麹町一丁目の堀端を帰ってきた。雨が強く降るので、傘をさし、腕まくりして急ぎ足で歩いていた。
 ふと見ると、前方に、笠もかぶらずとぼとぼ行く十歳ばかりの子供の姿があった。かわいそうに思って、
「わしの傘に入って行くがよい」
と呼びかけたが、恥ずかしいのか返事をせず、シクシクと泣くようにして行く。いよいよかわいそうで、後ろから傘をさしかけ、自分の脇に子供の体を引き付けるようにして歩みながら、
「おまえ、どちらへ使いに行ったのだ。この雨で、さぞ困っているだろう。齢は幾つになるか…」
などと親身に話しかけても、やはり返事をしない。ややもすれば傘を外れて濡れている。
「さても馬鹿な小僧だ。濡れるから傘の内に入れ、入れ」
と言うと、また入る。
 なにかというと堀の側に寄ろうとする様子なので、傘をさしかけながら、
「この傘の柄を掴んで行くがよい。そうでないと濡れてしまうぞ」
と、我が子をいたわるように言ったとき、堀の端で子供は、一学の腰を両手でしっかと押さえ、一気に堀の中に引き込もうとした。
 『妖怪め、おのれなどに引き込まれてたまるか』と懸命に引き合うも、子供の力が強く、土手をずるずる引きずり下ろされる。足がかりがなくて踏ん張れないまま、水際の石垣のところまで来たが、『おのれ、餌食になってたまるか』と心中に氏神を念じて、必死の力で突き倒すと、子供は傘とともに水に落ちて沈んだ。
 一学は命からがら這い上がったものの、腰も立たないほど力尽きていたので、一丁目の方へ戻り、駕籠に乗って屋敷に帰り着いた。
 これにすっかり懲りて、以後、自らはもちろんのこと、他の人をも、
「あの御堀端を通ってはならん」
と制したとのことだ。

 これこそ世に言う「河童」であろう。心得ておくべきことだと、人から聞いた話である。
あやしい古典文学 No.1683