中村満重『続向燈吐話』巻之五「四谷の河童の事」より

四谷の河童

 江戸城の留守居同心四五人が申し合わせて、こっそり四谷天王祭の見物に行った。
 夜になって御堀通りを帰っていくと、前方に七八歳の小坊主がいて、堀端ぎりぎりを歩いていた。
「あいつ、河童にちがいない。生け捕りにしよう」
 走って追い迫ったが、小坊主も走りだして、追いつけない。息が切れて立ち止まり、そろそろ行くと、小坊主もまたそろそろ行く。
「あのさまは、やっぱり曲者だぞ。思うに、我らが一緒に走るから追いつけないのだ。いちばん足の速い者が駆けつけて取りつき、そこへ後から来た者が加勢して取り押さえるとしよう」
 それぞれに力の限り走って追いかけると、小坊主はかなわないと思ったか、堀のそばを離れ、市ヶ谷佐内坂を上って逃げていった。しかし、坂は苦手なのか走りが遅く、ついに捕らえられた。
 さて、顔をよく見るに、黒い瘡のあとが生々しく、二目と見られない汚さだった。手は笛竹のように細かった。
「河童なら水の中に逃げるべきなのに、坂を上っていった。乞食か、非人の子か、さもなければ迷子だろう」
 そこで辻番所を叩き起こし、
「この子を預かって、捜している人があったら渡してやれ」
と引き渡した。しぶしぶ起きた番人は、
「まったく、余計なことをなさる」
と不満げだった。

「辻番を勤めながら、迷子を預かるのを余計なこととは、とんでもないやつだ」
 憤慨しながら道を行くと、たまたま小便に起き出た町の髪結が、話を洩れ聞いて、後ろから声をかけた。
「小坊主を捕らえなさったそうですな。それはいつもこの坂に来て遊ぶ河童ですが、何も悪いことはしません。この辺りで捕まえようとする者などおりませんよ。酷い扱いをしたら、祟られるかもしれませんな」
 言い捨てて、髪結は中に入ってしまった。
「さては、やっぱり河童だったのだ。まだ辻番所にいるなら、連行して人に見せよう」
 引き返してまた辻番を起こした。
「おい、預けた小坊主はどうした」
「あれは四谷御門外よりここらあたりの堀に棲む河童ですから、放してやりました」
 放してしまったからにはもう仕方ない。一同は、
「河童を取り逃がした。残念、残念…」
と、ぶつぶつ言いながら帰ったという。
あやしい古典文学 No.1684