森田盛昌『続咄随筆』下「大饅頭」より

上野饅頭

 宝暦四年二月のこと。

 金沢城下安江木町の道具商人 越後屋佐助が、京都の本願寺に参詣し、その帰路に各所を見物しようと思って、大阪へ下った。
 饅頭好きの佐助は、大阪逗留中、ふと虎屋という饅頭屋のことを思い出して、ある日その店に立ち寄った。
「こちらで一番大きい饅頭の値段は、いかほどか」
と尋ねると、主人が言うには、
「当店に格別大きな饅頭というのはありませんが、ご注文とあれば、どんな大きさのものでも出来ます」
とのこと。
「それならば、金二分で一つの饅頭を、二つ作ってくれないか」
 主人はびっくり仰天し、
「まずは、こちらへお上がりください」
と言って、茶・煙草盆などを出した。
「今日すぐには出来ませんので、明日ではいかがでしょうか」
「明日の何時にできるのかな」
「そうですな…、昼ごろまでにはきっと出来ますでしょう」
「ならば、明日の昼ごろまた来よう。その節は旨い茶を入れてくれ」
 佐助は金子一両を渡し、北久太郎町の旅宿へ帰った。

 そのあと虎屋では、店の者が集まって相談した。
「これはまた珍しい誂えものだ。いまだかつて、そんな饅頭を作ったことはない。どうしたものか」
 誰もが呆れるばかりだったが、とはいえ明日のことだから捨て置けないと、全員で饅頭作りに取りかかった。
 翌日の昼ごろ、佐助が虎屋にやって来た。
「きのう頼んでおいた饅頭は、出来たかな」
 主人が出てきて、
「ただいま蒸し上げております。まずはお上がりください」
と二階に案内した。
「おっつけ差し上げますので、しばらくお待ちください」
 酒・小鉢の料理なども出たが、佐助は口をつけなかった。
「根っからの下戸だから、酒は要らない。早く饅頭を出してくれ」
 そこで良い煎茶を出すなどしているうち、
「さあ、お誂えの饅頭、一つ蒸し上がりましたよ」
との声とともに、大きな戸板に載せ、大男三人で運んできたものは、大きさが畳二畳敷ほどもあった。
 佐助はたいそう喜んで、
「これは見事に出来たものだ。では食おう」
と、大饅頭を端から食い始めた。
 店の者はその食いっぷりを見物して、胆を潰した。「鬼が蚊を呑む」という諺そのままに、しばしの間に食い終わった。
 そこへもう一つの饅頭も蒸し上がって来たが、佐助は、
「これも食おうと思えば食えるが、それでは面白くない。旅宿まで持って行き、みんなに見せてやろうと思う。細引きを貸してくれないか」
と言う。店の者が細引きを三筋出して、饅頭を十文字に括り、
「人足に持たせましょうか」
と訊くと、
「いや、わしは力には自信がある。一人で担いで行こう」
と断って、丁寧に礼を述べ、大饅頭を背負って虎屋を出た。
 山のような見物人のなか往来を歩いて、ようやく北久太郎町の旅宿に帰り、饅頭をドスンと背から下ろすと、家が鳴り、大いに震動した。
 人々が驚いて出てきて見たら、座敷いっぱいの大饅頭だ。仰天して、これは何かと尋ねると、佐助は始終を物語った。
「そんなわけで、これは皆さんへの土産なのだ」
「いやはや、これはすごい」
「神武以来の饅頭だ」
 町内にも知らせてまわると、我も我もと見物に来て、それぞれ驚き呆れて帰っていった。
 そのあとは、旅宿の親しい人々、また加賀から来た客ら四十七人に、大饅頭をふるまった。みな喜んで食し、その夜の明けるころまでに平らげた。
 これにより、かの大饅頭のことを、四十七士と吉良上野介にちなみ、「上野饅頭」と呼ぶとのことだ。
あやしい古典文学 No.1692