西田直養『筱舎漫筆』巻之十二「不思議」より

重い怪人

 弘化二年七月七日、大風雨により、京都の市中あちこちで損壊があった。
 東本願寺の大門も崩れた。その不思議な仔細を語ろう。

 まず、七日の正午ごろには、まだ雨も風もなかった。
 上珠数屋町不明門通西入ル南側の万屋惣助という荒物商は、東本願寺の信者で、御斎参りで午後二時ごろ参詣した。出かけたときわずかに小雨が降っていたが、傘を差さずに行って、御影堂に上がった。
 しばらくすると、家から下女が傘を持ってきたので、一緒に帰った。
 そのあと、惣助が用事を思い出して縁先まで出たとき、にわかに空がかき曇り、真っ暗になった。
 大夕立でも降ってくるかと、寺の方を見据えると、雲霧が群がりかかって大門を押し包み、と同時に惣助は身の毛がよだって、ズンと異様な衝撃をおぼえた。
 そのとき、御影堂の上に怪異の人が現れた。腰から上は黒く、下は赤いものを着て、頭は剃髪か有髪か見分けがたい人が、堂の屋根から雲に乗ってすうっと大門の上に来たかと思うと、門は地震か雷鳴かというほど鳴動した。
 門外にいた人々が、
「あれまァ、大門がひしゃげた!」
と口々に叫ぶので、惣助は近くまで行って様子を見た。
 門は最近新たに建てかけたもので、頑丈な足場が組まれていた。高さ十八メートル、東西三十三メートル、南北二十五メートルあった。それが、棟の真ん中から折れて潰れていた。
 柱は二囲いほどの太さの槻(けやき)の丸柱で、四本立てたばかりだったが、うち二本が白箸を折ったように二つに折れていた。のこりのうち一本は半分に裂け、一本だけが無事だった。柱の折れ方を見るに、大風が吹き倒したのではなく、上から大力で圧し潰したようだった。
 周辺の塀や茶処などは、少しも損じていなかった。

「風もないのに上から圧されて、ひしゃげてしまうとは…。こんな奇妙なことはない」
と、万屋惣助が秋田屋忠兵衛という者に、七月九日に語った話である。
あやしい古典文学 No.1700