西野正府『享保日記』より

子供の顔

 四谷御中間町に、御普請方の中間で、常衛門という者がいた。
 妻が死に、盲目の母親と六七歳の男子一人との暮らしだったが、懇意の人の取り持ちで、近所の小六という者の娘を、八月二十九日、後妻に迎えた。

 翌八月三十日の夜、常衛門が知人の家へ何かの礼に行った留守のこと。女房は、男子を優しく寝かせつけたあと、傍らにあった脇差を抜き、男子に二太刀斬りつけた。
 子供のギャッという悲鳴を聞いた母親は、盲目ゆえ「何事じゃ、何事じゃ」とただ惑い騒ぎ、その声を聞きつけて近所の者が駆けつけたときには、すでに女房は逃げ去っていた。
 子供は二か所とも深手だったが、いまだ死なずにいた。
 常衛門も帰ってきて驚き、女房を探して親の小六の家へ行くと、女房は囲炉裏ばたに何気ない様子で坐っていた。
 女房の母親は、
「娘が先ほど帰ってきましたので、なぜ帰ったかと訊きますと、『子供の顔が三つになって気持ち悪かったので、斬ってきた』と申すのです」
と言う。
 それでとりあえず女房は小六方に預け置き、常衛門は家に帰った。
 外科医を呼んで診てもらったが、療治はかなわないとのことで、その夜に男子は死んだそうだ。
あやしい古典文学 No.1703