木崎タ窓『拾椎雑話』巻二十四より

穴洞三太夫

 元文のころ、丹後吉坂あたりに山の洞(うろ)があって、狐が棲んでいた。
 その狐は関東で相撲を取って、しこ名を「山洞三太夫」といい、知らない者のない力士だった。
 あるとき、三太夫の友人がたまたま吉坂の地を通り、かねて訪ねる約束をしていたので、土地の人に三太夫方を尋ねたが、だれも居場所を知らない。
 困っていると、三太夫自身が、八百歳の狐の姿で迎えに出てきた。
「相撲が好きなので、はるばる関東まで行って相撲を取っていたが、今後はもう行くことはない」
などと話したという。

 この風説とともに、なぜか、
「この狐に願を立てれば、何であれ叶わないことはない。丹後・丹波の近辺から、奇瑞を求めて来る人が絶えない」
との評判が立って、諸方から群れをなして山洞に参るようになった。
 小浜あたりからの参詣者もだんだん増え、社・鳥居なども最近あらたに造立された。
あやしい古典文学 No.1712