反古斎『怪異前席夜話』巻之五「龍怪撫育の恩を感じ老媼を免る話」より

赤城山の妖竜

 上州赤城山の麓に住まう六人の男が、薬草採りに山に入り、帰ることを忘れたかのように時を過ごして、ふと喉の渇きをおぼえた。
 そこは樹木が生い茂った場所で、人の通うような道もなく、青い苔に滑らかに包まれた岩ばかりが連なっていた。
 遠くから水の音が聞こえたので、それを頼りに斜面を下りていくと、はたして谷川の流れがあった。水は鏡のごとく清く、川底に積もった砂は透きとおって宝玉のようだった。いわゆる桃源郷とは、こんなところかもと思われた。
 水をすくって飲もうとしたが、よくよく見ると水底に、真黒で光沢のある細いものが幾筋となく、山に隠れた川上のほうから糸のように長くのびて、流れに漂っていた。
 水草か藻の類かと、一人が手をのばして掴もうとしたら、たちまち縮んで手をすり抜けた。これは怪しいと、我も我もと手を出して取ろうとするにしたがい、徐々に縮んでいくさまは、あたかも川上に人がいて引いているかのようだった。
 いよいよ不審に思い、岸を伝って川上へ行ってみると、そこにうっとりするほど優美な女が、顔をうつむけて、谷川の水で髪を洗っていた。その髪の長いこと、身の丈の幾倍もあるものを、両手でまとめて水を絞ると、すっくと立って人々を見て、からからと笑った。
 女の笑い声は、山谷に響き渡った。年のころは十八、九。容姿は美しすぎるほど美しく、艶やかさは凄味のあるほどだった。
 人々は驚き恐れて、
「あの髪の長さはなんだ。どう見ても人間ではない…」
と鳥肌立ち、身の毛を逆立てて震えわなないた。
 今来た道を逃げようとしたが、夕霧が四方を覆って、目の前のものも定かに見分けがたい。そんな中、女の姿はたちまち消え失せたらしかった。
 やがて日はまったく暮れ落ちて、山谷は黒闇に沈んだ。木々の枝は嵐に騒ぎ、猿・梟の叫ぶ声がしきりに飛び交った。

 六人は茫然として、酔い痴れた者のように谷川のほとりに立っていた。
 やがて谷の遥か彼方に、火の光が豆粒のように見えた。夜嵐の寒気を防ぐ杣人(そまびと)の焚火かと思われ、少し力を得て光を目指して行くと、一軒のあばら家があって、壁の落ちた隙間から、囲炉裏の火影が洩れていた。
 あてなく歩いて夜更けになるよりは、今夜はここに泊めてもらって、朝になったらまた道を探そうと、枝折戸(しおりど)を押し開けて、
「山道に迷った者どもでござる。どうか泊めてくだされ」
と呼びかけると、内からは、
「たやすいことじゃ。どうぞお入り」
と応える声。
 ほっと安心して家に入ってみれば、霜雪のような白髪で歯なしの老婆が、炉の傍らで糸を紡いでいた。
 炉端に上がって座り、
「たいそう腹が空いておりまする。何ぞ食うものはありませんか」
と訊くと、
「山家だから気の利いたものは何もありませんぞ。ここに栗が少しあるから、焼いて食うてはどうかの」
と差し出した。
「いやはや、これはなにより」
 みな打ち寄って炉に向かい、栗を焼いて食った。

 そのとき、老婆の背後から、からからと笑う大声が高く響いた。
 驚いて顔を上げて見ると、いかにも美しい顔立ちの女が、長い髪を手に巻き束ねて立っていた。それは先ほど谷川で見た女に寸分違わなかった。
「さては妖怪の棲家に来たのか」
と慌て騒ぐのを、老婆が制した。
「客人がたは、わが娘の髪が人並外れて多く長いを怪しいと思われよう。されど全く妖怪変化の類ではない。話せば長くなるが、この婆の懺悔のため、語ってお聞かせしよう。
 そもそも婆は、この山の麓の里に住む者じゃった。若い時に寡婦(やもめ)となり、子がなくて身の行く末が心細く、やるせない思いをしておったが、ある日、川の流れで衣を洗っているとしきりに喉が渇き、水をすくって飲んだ。その水には、白い泡が浮かんでおった。たちまち腹が痛んで難儀しながら、頭を上げて見ると、梢に二匹の蛇が縄のごとく絡み合い、おのおの口から涎を吐き、それが流水に滴って泡のように見えていたのじゃ。飲んではならない水を呑んで死んでしまうのだと思い、しかたなく家に帰って打ち臥した。
 ところが、いっこうに死にもせず、そのかわり不思議に懐妊して、十月が満ちてこの娘を産んだ。生まれ出たときから髪が一尺ばかりもあり、父なくして生まれた怪しい子だから、野に捨てようか、殺してしまおうかと思うたが、さすがに不憫でできなんだ。それにまた、子が欲しいとのわが願いにこたえて仏神が与えたもうたかとも思われ、それならば行く末が頼もしいと、恥を忍んで取り上げて育てることにした。
 里の古老は赤子を見て、『赤子が早く歩き、早く座り、早く歯が生え、早く語りだすのはみな悪種だと中国の書物にあるが、早く髪の伸びるのは入っていない。また、宋の儒学者 邵康節(しょうこうせつ)は、生まれたときから髪が長かったと聞く。漢の高祖の母は、大沢の堤で龍が交わる夢を見て高祖を孕んだという。そんな奇瑞の例もあるから、父がいないのを恥じることはない。後には王侯貴人の妻ともなるべき子ではあるまいか』と言ったが、はたして成長するにしたがい、容貌は幾百の女にまさり、針仕事や機織りも自然と誰より巧みになった。けれど、里人は髪の長いのを怪しんで、娶ろうという者はなく、かえって人類の女ではないと罵った。それがあまりに酷く、つらさのあまり里に住んでおれなくなって、この山中に引きこもった。母子二人で木の実を食し、五穀を口にすることなく、すでに三年の月日を送ったのじゃ」
 聞き終わった人々は、世にも奇異なことだと顔を見合わせ、それぞれ大きくため息を吐いた。

 そして夜は更けた。
 さあ寝ようと、六人は炉端に横になり、肱を曲げて枕にした。老婆は気遣って、蓆を張った屏風を枕もとに引きまわし、隙間風を防ぐようにしてくれた。
 老婆と娘は奥に入って臥し、六人のうちの五人はよく寝入った。一人がまだ眠らずにいたとき、屏風の上にひらひらしたものが見えて、顔にも触れた。
 怪しく思って、炉の燃え残りの火影に透かし見れば、長い髪の毛が、蛇ののたくるように屏風を越えてきて、一人の喉笛に巻きついた。なんてことだと驚いたが、全身が痺れて声も出ない。かろうじて足で巻かれた人を踏んだけれども、まるで死人のように少しも動かない。
 そこへまたひと掴みの髪の毛が来て、別の人の喉を巻いて覆った。見る間に五把の毛髪が次々に出て、五人を巻き覆い、五人とも少しも息をせず、動かなくなったのだった。
 最後のひと掴みの髪が来て、目覚めている男の頭上に近づいたとき、男はたまりかねて飛び起き、戸外に走り出た。髪は蜿蜒と延びて蛇行し、後を追って戸外に出てくる。いよいよ慌てた男が、必死の思いで走って行くと、おりしも朧月が木々の隙からほのかに照らし、山間に一筋の道があった。
 その道をさらに足にまかせて逃げて行き、何里走ったか知れない。やっと大きな道に出ると、鶏や犬の声も遠くに聞こえ、人里があると分かって、いくらか生き返った心地がした。

 やがて夜が明けた。
 山中を出て野道を行くと、傍らに祠のようなものがあったので、入って休もうとしたとき、一人の老人が裏から出てきて、男の狼狽したさまを見て、どうしたのかと問いただした。
 男は夜に遭った怪異を語り、
「五人の仲間は、さだめし今は死んでしまったでしょう」
と涙を落とした。
 聞いて老人は、眉をひそめた。
「わしも久しく、あの女のことを聞かない。母親はもとこの村の寡婦じゃったが、交わる竜の精汁を飲んだことで妖物を孕んだ。生まれた子は人身ではなく、仮に人の子宮に入っただけで、人の精気を少しも受けていない。その正体は全く竜であり、竜神の父と人の母の間の子とされる漢の高祖の話などと同等に語るべきではない。そもそも漢の高祖の誕生の奇跡とやらは、一時の人心を釣るための虚妄なのだ。竜の種から人ができる理屈があろうものか。あの寡婦が生んだ娘がすぐに竜にならなかったのは、飛翔する雲雨のときを待っているのであり、また十月の間胎内に温められた恩に報いたくて、母を捨て去るに忍びないというだけだ」
 男は反駁した。
「人の話では、竜は深い淵の底に潜んで眠るが、ひとたび起きれば雲をしのいで霧に乗り、気を吸い風を食らう。その神がかった霊妙さは、とても人知ではかることはできない。形有れどもなきがごとくで、竜の姿の説などは絵師のためにあるだけだ。いまだ竜が人を喰ったということも聞かない。あの娘は昨夜、すでにわが仲間五人を殺した。あれは魑魅妖物であって、竜ではない。あなたの言葉は、まったく信じがたい」
 老人は笑った。
「竜を神霊とするのは、孔子が老子を竜にたとえて語ったことに始まる。後世、司馬遷らの史家は、竜をまことの神霊のごとく記して文章を飾ったが、それは孔子の言葉を捻じ曲げた作りごとだ。竜は蛇の一類にすぎない。多くの書に、蛟竜を殺したという記事が出ている。昔の珍奇な料理に竜肝がある。拳竜氏・御竜氏は、よく竜を屠った。竜が神霊のものならば、人に殺されたり食われたりするはずがない。
 ただし、竜は魚虫の中ではもっとも傑出した生き物で、雲霧を得てする飛揚は、鳥雀が風に乗じ、空を切って飛ぶのに同じだ。慎子(しんし)は『飛竜雲に乗り、騰蛇霧に遊ぶ。雲雨晴るる時は蚯蚓(みみず)に同じ』と言った。ものを知らない世人は『雲は龍に従い、風は虎に従うゆえに、竜が鳴けば雲が起こり、虎が吠えれば風が生ずる』と言うが、竜虎がどうして風雲を起したりするものか。雲が起こると竜がそれに従って飛び、風が生じると虎がそれに応じで吠えるのだ。
 韓非子が『竜は虫で、馴らして乗ることができる』と言ったように、竜は蟒蛇(うわばみ)の類で、神霊の力があるわけではない。竜が変化し、飛揚するのは、例えば狐狸が形を変じて人心を惑わし、幻術によって人の精神を虜にするのと同じで、天のごとく物を作り出すのとは違う。雲にまたがり霧に乗る竜を世人は神霊としながら、同様のことをする狐狸の類は妖物を思うが、なにゆえ竜はありがたくて、狐狸は不吉だと言えようか。
 さて、時はいま十一月の初め、陰極まって一陽が生じる。竜は陽物だ。その気候に応じて飛翔するであろう」
 まさにその時、山岳はにわかに震動し、雲霧は白日を遮り、暴風が木の葉を巻いて吹き起った。
 老人は山を指さして言った。
「赤城山中の妖竜は、今こそ時機を得た。見よ、見よ、山の麓の村々はみな沼となるであろう。おぬしがここに逃れ来たのは幸いであった」
 言い終わらぬうちに、赤城山の方から、同じ上州の白根山、さらに信州浅間山と、遠近に雲が立ち覆い、小雨が降り出したかと思うと、たちまち梢を折るほどに風激しく、盆を傾けたかのような豪雨となった。
 雷鳴とともに閃光が走って岩石を崩し、断崖を破壊し、家ほどの大岩が飛んで八方に降り落ちた。その音は天も崩れ地も陥るかと疑われるほどで、かの男は胆を潰し、魂も消えて、老人の傍に竦みこんだ。
 大風と迅雷は、一日一夜やまなかった。山岳の鳴り響くことおびただしいなか、老人は、白い餅を一つ男に与えて食わせた。すると、少しも飢えを感じなくなった。

 ようやく暁になって、狂嵐は鎮まった。
 夜が明けて戸を開き、男が外に出て見渡すと、老人の言ったとおり、遠近の村里も人家も一つとしてなく、ただ一面の水たまりが広がっていた。人馬鶏犬すべて死に尽くして、屍さえなかった。
 男が茫然としつつ、
「我が住む里も、さだめし沼となったでしょうね」
と尋ねかけたときには、もはや老人の姿は見えなかった。
 これまた奇異なことに思えて、祠を出て鳥居を見上げれば、上に掲げられた扁額に「八幡宮」の三字があった。
「さては神霊が我が命を救い、危難を免れさせてくださったのか」
 はじめて気づくとともに、男の眼に感涙があふれた。そして、あらためて社壇に向かい、地にひれ伏して礼拝した。
 さて、祠を出て前方を見るに、たまり水の中に浮木が漂い、その上に人の姿があった。難をあやうく逃れて来た者であろうと、急ぎ助けて岸に引き上げると、それはかの山中の家の老婆だった。
「これはなんと、婆さま…。いかにしてこの災禍を助かったのですか」
「おお、客人か…。じつは娘が教えてくれた。『おっ母はこの枯木に乗り、谷の流れにしたがって、前に住んでいた里のほうへ行け。わたしは今、竜身をあらわして飛翔するゆえ…』と言って去っていった。その教えどおり浮木に乗って谷水に入ったが、途中、山岳の鳴り響く音の物凄さに驚き、気を失って、その後のことは知らない。ただ夢の中のようじゃった」
 すなわち娘は、育ててもらった恩を返すべく、老婆を救ったのだった。
 男は、いよいよ神霊のお告げを尊く思い、老婆にもそのことを物語って、二人ともその有難さに感嘆した。
 それから道をたどり、赤城山から遠くて竜の難を蒙らなかった村里まで行って、男も老婆もそこに住んだ。
あやしい古典文学 No.1714