林義端『玉櫛笥』巻之五「醍醐の白狼」より

醍醐の白狼

 山城国の醍醐の山中に、狼が多く出て人を悩ますことがあった。そんな頃のことだ。

 村里の子供が山に入って薪を採っているところに、どこからともなく狼が一頭走ってきて、子供に喰いつき、口にくわえて、山深く走り入った。
 子供はなかなか賢い者で、ある繁った草むらに下ろされると、身を縮め、息をひそめて、死んだふりをしていた。
 狼は、草むらの地面を爪でもって掻き開き、大きな穴を掘って、子供を落とし込むと、土と草をと混ぜ混ぜにして上を覆い、よくよく確認してから、どこかへ行った。
 子供は、急いで逃げようとしたが、『あの狼が、すぐにも戻ってくるかもしれない』と考え直して、じっとしていた。
 予想どおり、狼はまた来て、周囲を嗅ぎまわり、再度よく見まわって、大丈夫だと思ったか、しばらくして去っていった。
 『もうよかろう』と、やおら穴から出て一目散に駆け出そうとしたけれども、なにしろ奥深い山中で、谷も峰も険しい。どちらへ行けばいいのか方角も知らない。いっとき途方に暮れたが、『いやいや、ぐずぐずしていると狼が戻ってくる』と思い、たまたま傍らにあった大木に攀じ登り、枝葉の繁る中に隠れて、様子を窺った。

 少し経ってから、先ほどの狼が、別の一頭の白くてきわめて大きな狼を伴って来た。
 最初の狼は、さっき子供を埋めた穴を掘り返した。ところが子供がいない。おおいに吠え怒って、穴の周りを四度も五度も駆け回った。しかし大木の上までは考えが及ばず、やがて諦めて、耳を垂れ、顔を伏せ、恥じ恐れて大きな白狼の前に蹲った。
 白狼は、しばし何もしなかったが、立ち上がって帰ろうとするとき、左の手の爪で最初の狼の頭のてっぺんを少し撫でて行った。
 その後も最初の狼は、身動きもせず蹲ったままだった。子供は木の上から全部をまざまざと見てひたすら恐ろしく、いよいよ木に抱きついていた。
 下りることができないまま、どうしたらよかろうと思いわずらううちに日が暮れ、あくる日になると、木こりたちが大勢、近くを通りかかった。子供は、
「この木の下に狼がいる。早く打ち殺して、助けてくれよ」
と大声をあげた。
 驚いた木こりたちが、斧・山刀などを引っ提げて木の下まで行ってみると、たしかに狼が一頭蹲っていた。しかし、すでに死んでいた。
 それを聞いて子供は不思議に思い、木から下りて狼の頭のてっぺんを見ると、骨ごと砕けて脳が爛れているのだった。
「これはまた、どうしたことだ」
 木こりたちに問われて、子供は始めから終わりまでの次第を語った。皆は驚きながら、
「それにしても、この子はよくぞ命が助かったものだ。たいした知恵者だ」
と褒めそやした。
あやしい古典文学 No.1721