瑞竜軒恕翁『虚実雑談集』巻之一「あやしき獣の事 附白蝶あゆみし事」より

庭に来る黒い獣

 昔、上野国前橋の侍が、夜ごと胸が痛み、日を重ねるうち、声をあげて気絶するほどに酷くなった。そんな状態で、何ヶ月か経った。

 ある月の明るい夜、隣家の侍が見舞いに来て、庭の方を眺め、月夜の風情を味わっていると、何か庭の笹の中に入って動くものがあった。
 不審に思い、音をたてないようにして見張っていたところ、そのものは夜半になって庭の砂の上に出てきて、指でものを描くような仕草をした。猿に似た、黒い獣だった。
 砂の上に描いたのは、人の形だった。その胸にあたるところを、獣が手でむやみに掻きむしると、寝所の主人はいつものように呻いて気絶した。
 隣人は、その様子をよくよく見届けてから、主人を起こして、
「明日の夜には、貴殿の病をただちに治して差し上げよう」
と伝えて帰った。

 翌日の夜、隣家の侍は半弓を持って来た。
 密かに窺っていると、前夜のように獣が来た。人の形を描いて、やおら胸を掻きむしろうとしたとき、矢をつがえ、ヒュッと射ると、手応えがあって、獣は倒れた。
 近寄って見ると、胴中を射通されて、すでに死んでいた。猿に似ているが、口は耳まで裂け、体毛は真っ黒だった。何という獣か、知る人はなかった。
 その後、主人の侍の胸が痛むことはなかった。
あやしい古典文学 No.1722