鳥飼酔雅『近代百物語』巻一「いふにかひなき蘇生の悦び」より

いたちの白気

 世間では、狐・狸・犬・猫などが人に憑くと言いふらす。
 どういうことかと問うと、「罪もないのに殺生したり、打ち叩いたりすると、彼らの魂が人の皮膚に分け入って、病ましめるのだ」などと言う。
 医書にも「邪崇」という病気が載っているから、まったく嘘とも言い難い。

 昔、常陸国の桜田村という所に、六兵衛という農民があった。六兵衛夫婦には六之介という男子があり、一人子なので蝶よ花よと可愛がっていた。
 しかし、いかなる過去の因果か生まれつき病身で、両親の心配と薬の絶える暇がなく、食物をはじめ万事に気をつけても効果はまるでなく、どんな病気であれ、流行れば人より先に病むのが常だった。「病む身よりは見る目」と諺にあるとおり、当人より看病する者がより辛い。六兵衛は畑へ行っても我が子を案ぜずにいられなかった。
 六之介が十二歳の年、二月ごろから諸国に疫病が流行った。六兵衛は居ても立ってもいられず、患わぬうちに灸をすえさせ、薬を用い、「転ばぬ先の杖」の養生をさせる慌てぶりは情けないほどだ。にもかかわらず、
「この村の誰と誰とが疫病に罹り、昨日より高熱が…」
と聞くとひとしく、三番目より下がらぬ病弱者の六之介は、
「どうやら頭痛がするような…」
と言うのが病の始まりだった。
「そんなことを思えば病は重くなる。まず四五日は様子を見よう」
 布団をかけてやり、食事を勧め、ニ三日捨て置いたが、大熱が出たというほどでもない。しかし、
「気分は?」
と問えば、
「悪い」
と言うばかりで、夜となく昼となく悶え苦しみ、そのうち前とは容態も変わって、全身冷えて食い物をいっさい受け付けない状態になった。
 両親は大いに慌てて、常に頼む医者を呼び、薬を飲ませ看病したが、日ごとに弱って正気も失せ、ついにこの世の縁が尽きて、わずか十二歳で落命した。両親の嘆きようは傍目にも気の毒で、誰もが貰い涙に袖を絞った。

 よりによってそんなときに、表のほうで、
「そりゃ追え。油断するな」
「打て、叩け」
「よしいけ、とどめだ」
「ああ、死んだ。運の尽きじゃ」
なとど騒いで、人々が右往左往する足音がした。
 何事だろうと六兵衛が出て物陰から様子を窺うに、年取った鼬(いたち)が犬に噛まれて半死半生。見るからに可哀そうで、せめて我が子の菩提のため命を助けてやろうと、近寄って水を注ぎ、撫でさすったりした。
 しかし、受けた傷はあまりに大きく、体毛は血にまみれ、どうしたって助かる様子でなく、キッ! と一声鳴いたのを最後に息が絶えたが、そのとき不思議なことに、鼬は口から煙のような白気を吐いた。
 白気は六兵衛の家に入ってゆき、それと同時に、寝かせてあった六之介の亡骸がむくむくと動いて蘇り、そこらあたりを這い回った。
 六兵衛はもう夢見心地で、「これはめでたい」と家じゅうが喜び、寺へ人を走らせて「来なくていい」と伝えさせ、「それより薬を」と騒ぎあった。

 六之介は、足は立たないが元気に這い回る。顔色は普段にまさるが、病のせいか言葉が話せない。ただきょろきょろと周囲を見回し、猫を見てははなはだ恐れ、鼠の走る足音を聞いては目を剥いて駆け回る。
 蘇って以来五六日のあいだ何も食わないので、六兵衛らが食べ物を与えてみると、犬猫や馬が餌を食うように、座敷内に取り散らかしながら口を寄せて食う。畜生道より蘇ったのかとさえ思われる。
 とはいえ、我が子のことだから、惨たらしく殺すわけにもいかない。
「まあよい。とにかく生き返ったのが大きな幸いだ。病後の乱心のようだから、しだいに鎮まるだろう」
 そう言って、養生怠りなく半年が過ぎたが、いっこうに変わらない。
 そんなとき、親族が話を耳寄りな聞き込んできた。
「相模国の安部川道仙は、今の灸治の第一人者で、せむし、盲目、痣、白髪、兎唇、鰐足、聾、吃り、六指、轆轤首などなど、いずれも一度の灸で即座に直るとのこと」
 六兵衛夫婦は飛び立つ勢いで、六之介を駕籠に乗せて連れて行った。
 道仙の付けた灸点に灸をすえると、どうしたことだろう、六之介はキチキチキチと鳴いた。とても人間の声とは思われない。

 六兵衛夫婦は六之介を連れ帰り、
「なんにせよ変化の仕業にちがいない。神仏の力に依らねば本心には返るまい」
と、たまたま同村に閑居している徳の高い僧に祈祷を頼んだ。
 僧が壇を構えて七日間、責めかけ責めかけ祈ったところ、七日目の朝がほのぼの明けるころ、六之介の口中から煙のような白いものが抜けて出て、飛び去った。すると六之介の息はたちまち絶えて、屍ばかりが残った。
 これはまったく、鼬の気が六之介の屍を借りて、暫くの奇怪をなしたのであると、ある人が語った。
あやしい古典文学 No.1724