青葱堂冬圃『真佐喜のかつら』五より

ただ者ではない

 武蔵国橘樹郡新宿村に寓居して、何をするでもなくぶらぶら日を送っている遊び人がいた。名は知られず、京都の公家衆のような時代がかった雰囲気から「麻呂さん」などと面白半分に呼ばれていた。

 この地の鎮守天王祭のとき、年若い者たちは、一様に揃いの模様を染め出した浴衣などで着飾って歩く。かの遊び人も着たかったのか、「我にも浴衣を与えよ」と頼んだ。
 地元の者でないからと許されなかったので、大いに憤って、
「ならば、天王の神輿を出させまいぞ」
と言ったが、みな笑って相手にしなかった。
 やがて時刻になり、天王の神輿を担ぎ出すと、とある場所で神輿は盤石のごとく重くなって、押せども引けども動かなかった。
 みな驚くとともに、遊び人が言ったことを思い出して、周辺を捜しまわった。すると、物陰で、古い装束を身につけ、笏を持ち、なにやらムニャムニャ唱えているのが見つかった。
 なおのこと驚き、よくよく詫びたので、神輿は元どおり軽くなり、村内を巡ることができた。

 このことで気味が悪くなった村人たちは、皆で申し合わせて旅費を集め、遊び人を京都へ送り帰した。
 遊び人は、ほんとうに公家の子だったらしい。
 だいぶ経って、たまたま京都に上った村人が消息を尋ねたところ、すでに家を相続していた。その公家姿を、じっさいに遠目に見たという。
 弘化のころの話である。
あやしい古典文学 No.1726