中田主税『雑交苦口記』巻之一より

狐になれ

 世間では狐を「稲荷様」と呼んで尊敬する。
 庶民はそんなものだと思うが、身分の高い人たちまで四つ足の畜生に三拝するのは、情けないことこのうえない。

 稲荷大明神というのは、すくな彦、宇賀のみたま、猿田彦などともいう。いずれにしても、形は老翁が稲を荷う姿であって、狐ではない。
 狐を稲荷様と言うのは、別ないわれがある。
 両部神道が始まって以来、末社というものが拵えられ、稲荷の使いとして狐を鎮座させた。ほかにも、不動には犬、愛宕には猪、八幡には鳩、観音には雉子、荒神には鶏と、いろいろある。それぞれ、わけあってのことであろう。
 しかし、狐は稲荷様と言うのに、犬を不動様と言う人は一人としていない。
 察するに、狐は畜生の内でも悪獣であって、人をたぶらかし、人の皮の下や肉の中に入り、柔弱の人に取り憑き、ほかにも色々な悪事をなすから、それを恐れて尊ぶのだろう。犬は無難な獣なので、平気で打ち叩き、蹴ったり踏んだりするのだ。

 人間でも、あまり人が好いと、他人に侮られ、踏みつけにされる。少しは狐のように恐れられるのもよい。ときどき小豆飯、鰯、鮗(このしろ)など振る舞われて、他人に尊敬もされるぞ。
 時には狐になりたまえ。
あやしい古典文学 No.1731