中田主税『雑交苦口記』巻之三より

兄妹の密通

 貞享年間のこと、御小姓の某という人が、わけあって主君の怒りに触れ、松平美作守にお預けの処分を受けた。
 妻は御小納戸の喜多見茂右衛門の妹だったので、兄のもとへ、家財諸道具一切とともに引き取られた。

 御小姓某は、後に許され、召し返された。
 妻は義兄に引き取られたと聞き、とにかく会って話そうと茂右衛門の家へ行ったが、「妹は体の具合が悪い」などと言って、会わそうとしない。
 茂右衛門の本心が分からず、困った某が人伝てに聞くに、兄妹で密通して懐妊しているらしい。
 大いに立腹して茂右衛門方へ乗り込み、家財道具類を調べてみたら、皆売り払ってなくなっている。
 「堪忍ならぬ」と喧嘩になった。互いに打ち叩きあうところに、茂右衛門の家人どもが大勢出てきて斬りかかり、ついに某は斬り殺されてしまった。

 その後の詮議で、茂右衛門は白状して、千住で斬罪となった。
 伯父の喜多見若狭守は将軍綱吉公の側用人で、五百石から二万石まで昇進し、岩槻の城主だったが、この事件で領地召し上げのうえ松平越中守にお預けとなった。若狭守が預かり先の伊勢桑名で絶食して死んだことにより、喜多見の家は断絶した。
あやしい古典文学 No.1732