『諸家随筆集(村井随筆)』より

雹害

 寛政十年五月十三日夕刻、甲州八ヶ岳ならびに御嶽山奥之院から黒雲が迫り、しきりに雷鳴して、夕立の様相となった。
 日暮れころから大雨となり、茶碗ほどの大きさの雹(ひょう)が降りだした。

 雹は西北の風にのって、陣屋・本陣・長屋の戸板や屋根に吹きつけた。凄まじい音とともに屋根が打ち抜かれ、障子骨が微塵に折れ、おびただしい氷塊が屋内に降りこんだ。
 近在の吹き溜まりでは四五尺も積もった。村々の稲は言うに及ばず、煙草、木綿、そのほかの草木までも葉を打たれて散々になった。
 羽黒村というところでは、草刈りに出た十四五歳の少年が行方知れずになった。
 下積翠村では、百姓の妻が農作業の帰りに雹に当たって気絶した。別の村では、馬子が名主屋敷の門に駆け込んで気絶し、馬ばかりが馬子の家へ逃げ帰った。その馬も重傷だという。
 陣屋裏では、長禅寺という寺の縁の下へ、鹿が二頭駆け込んだ。
 櫻井村では、雹に打たれた鷲を捕らえた。そのほか、烏・雀の類が幾羽となく打ち殺され、荒川通では筵にニ三杯もの生き物の死骸を拾った。

 これは前代未聞の降雹である。
 塚原村に降った氷塊の大物は重さ五キロ近くあったといい、土地の古老もいまだ話に聞いたことがないと驚いているそうだ。
あやしい古典文学 No.1736