藤岡屋由蔵『藤岡屋日記』第第十七より

新妻狂暴

下谷藤堂和泉守東門前、奥坊主
 杉田昌悦 二十二歳
同所和泉橋通り、西丸表坊主組頭竹内長庵娘
 いわ 十七歳

 いわは、当弘化二年四月二十六日、昌悦方へ嫁入りした。
 盃ごとなども滞りなく済んで床入りとなったところで、嫁が、
「行燈を消して、静かにして…」
と言った。
 初めてだからさだめし恥ずかしいのだろうと思って、昌悦が行燈を吹き消したところ、何となく気配が物凄くなった。どうしたのかと嫁に寄り添い、肌を撫でてみたら、なんだかぞよぞよした肌触りで、気味が悪くなった。
 嫁は身をすくめて震えていた。気配の物凄さはいよいよ増して、上野寛永寺の鐘が真夜中の二時を知らせた。
 そのとき嫁は素っ裸ですっくと立ち上がり、物の怪が憑いた様子で蚊帳の釣り手を引き千切った。夫昌悦の胸ぐらを取って小突きまわしたかと思うと、血相を変えて駆けだし、姑の寝間に入って、驚いて起き上がった姑の髪を掴んで引き倒した。
 この暴力沙汰で家じゅう大騒ぎになったが、嫁はそのまま眠り込み、翌朝起きたときには平常になり、何事もなかったかのようだった。
 夜中のことを話して聞かせると、涙ながらに夫と姑に詫びた。恥じ入り、恐れ入った様子がいかにも可哀想だった。
 ところが、午後にまたまた暴れだした。
「姉の死霊が…、髪の中にいる!」
と叫んで髪の毛を掻きむしると、にわかに頭髪すべてが逆立って恐ろしい姿となり、沢庵桶から大根漬を糠とともに取り出して丸齧りした。
 水を欲しがるので丼に汲んで渡すと、火にかけてくれと言う。火にかけてから与えると一二杯飲み干して、しきりに実家の継母を罵り、恨みの数々を言い募った。仏前に行って鈴などを打ち鳴らし、常香盤(じょうこうばん)の四隅に線香を立て、せわしく霊を呼んだ。
 そこへ昌悦と懇意にする人が、婚礼を祝いにやってきた。嫁は後ろから抱きつき、肩に喰いつこうとした。その人はびっくり仰天して台所へ逃げたが、そのとき嗅いだ嫁の体臭・口臭はあまりに酷く、屍体の腐臭のようだったという。
 やがて鎮まり、朝と同じように幾度も詫びた。それを見るとやっぱり可哀想で、できるだけ家に置いて祈祷でも受けさせようと考えたが、その後も昼夜に三四度ずつ発作が起こるので、やむを得ず、五日ほど過ぎてから実家の竹内方へ帰らせた。

 嫁いわに死霊が憑いたのには、わけがあった。
 竹内長庵には、先妻との間に娘が一人あった。その娘が幼年のとき母親が病死したので、後妻を貰い、ほどなく妹娘いわが出生した。
 いわが六七歳のころ、姉娘は家の奉公人と密通して、そのうえ懐妊した。以来継母はことのほかむごく扱うようになり、日々憎んで悪口雑言を浴びせた。是非なく手療治で堕胎を試み、失敗して苦しみ悶えても、継母はその姿を嘲笑った。
 結局、姉娘は継母に、
「この怨み、忘れぬ。おまえの娘に取り憑いて、必ずや怨みを晴らしてみせる」
と叫んで狂い死にした。
 このたびの婚礼につき、諸道具支度など十分すぎるほど結構に調えて嫁がせたので、ここぞとばかり死霊が憑いたのである。もっとも以前にも、いわが取り憑かれて怪しい状態になることはあって、種々手を尽くし、加持祈祷などして、徐々に全快したのだという。
 ともあれ、せっかく縁談が成ったのに、またまた再発し、里に帰されてしまった。父親の長庵は死霊を怒り罵り、仏壇の位牌を脇差で斬り割ったが、そのせいで、ますます死霊が荒れ狂ったそうだ。
あやしい古典文学 No.1738