橘南谿『西遊記』巻之三「一足鳥」より

一足鳥

 肥後国八代から球磨川を八里さかのぼったところに、神瀬(こうのせ)の岩戸というところがある。そこはまさに天下の奇所だ。
 筆者がこの岩戸を訪れることが、あらかじめ知れていたのか、庄屋の大島喜左衛門が途中まで出迎えてくれて、いっしょに神瀬まで行った。

 岩戸までは、神瀬の神主の緒方靫負とその子の大膳に案内された。球磨川の北側から山へ入ること半里ばかり、いかにも細い道は緑の苔に覆われ、岩間の清水が冷ややかに流れているばかりで、先が危ぶまれるほどだったが、やや谷を深く入ると、まもなく岩戸に到着した。
 一見しただけで、その奇観に驚いた。洞窟の入口は、あたかも獅子がいっぱいに口を開いたかのようで、南向きに高さ・広さとも三十メートル近くある。
 洞窟の天井からは、はなはだ大きな鍾乳石が、柱のごとく、あるいは人のごとき形で、入口から奥まで隙間なくつららのように下りている。
 鍾乳石の間を鳥が飛ぶ。背中が黒く、腹は白く、尾が短くて、全体として燕に似ている。足は一本しかない。世界中で、この洞窟の中にだけ生ずる鳥なのだという。奥から入口にいたるまで数百羽が群れ飛んで、ごく近くまでも飛んで来る。しかし、大変素早いので、どんな形かをしっかり見定めることができない。
 この鳥は岩戸の神の使いだと言い伝えて、昔から、捕獲すると近村にいろいろの祟りがある。大風、洪水、流行病のたぐいが次々あらわれて、民の嘆きはひととおりでない。ゆえに、この地の人々は、鳥をはなはだ畏れて慎み敬う。
 じっさい当地以外、日本国中に一足の鳥があることを聞かない。中国でも珍しい。世にもまれな鳥と言うべきだ。

 さて、洞窟の中に入ること四十メートルあまりで、奥の壁に行き当たる。このあたりまでは、入口が広いせいで明るい。壁に沿って右に曲がると、径七メートルほどの穴がある。 穴の中は夜のごとく暗い。しばらく心を静めてから、岩角にすがって中を見るに、奥の壁までは二十メートル足らず、下は縦穴で、縁が手前に繰り込むように切り立ち、断崖よりも恐ろしい。どれほどの深さか知り難く、見上げれば縦穴は上にも虚ろに延びて、その高さも知り難い。
 ゆっくり息をついて再度心を静め、底のほうを見るに、はるかな底に鏡のごとくきらめくものがあった。それは水で、ずいぶん深いように見えたが、目くるめき、足が震えて、久しく見ていることができなかった。
 後ろに退いて、大膳に問うと、
「この水は霊泉で、時によって増減があります。水底の深さは、昔から知る者がありません。水面までも、五十メートルほどの縄を下ろして、なお届きません」
とのことだった。

 神瀬の岩戸は、明神の御座所なのである。
 まことに不思議・奇怪の場所で、様子を述べるにも筆の及ぶところではない。往来のたやすいところにあれば随分名高く、見ない人がないほどであろうに、こんな深山の辺地だから、名さえ知るものがない。
 九州に旅する人は、必ずここを見るべきだ。
 ちなみに一足鳥は、時節によってはことごとく身を隠して、一羽も見えないことがあるという。筆者が行ったのは三月だが、おりよく夥しい数がいた。
 また、霊泉も験ある水で、もしこれを汲んで飲むことができれば、万病を癒し、長生不老なのだそうだ。さもありぬべしと思う。
あやしい古典文学 No.1739