林羅山『狐媚鈔』「上官翼」より

よく食う化け物

 中国、唐の高宗の麟徳年間、絳州(こうしゅう)の司馬 上官翼の息子でニ十歳ばかりの者が、ある日の明け方、ぼんやりと門外に立っていた。
 すると、十三か十四歳くらいのきれいな娘が、門前を通りかかった。息子はたちまち恋慕して、娘に家の場所を尋ねた。
「わたしの家の門は、通るのがむずかしいの。そのうち、暇を見てわたしのほうから来るわ」
 娘はこう応えたが、ある夕方、本当にやって来て言った。
「ねえ、日を定めて、結婚式を挙げましょうよ」
 それ以来、毎夜かならず来るようになった。

 日を経て、上官翼の家に長年仕えている老女が、窓から息子の部屋を覗いたら、来ている娘は化物だったので、慌てて主人に知らせた。
 上官翼は怒って、化物娘が二度と来ないよう、屋敷の警備を厳重にしたが、入り込むのを防げなかった。
 息子が物を食べようとすると、化物娘が横取りして食ってしまう。化物娘は食いに食って、息子の口には全く入らなかった。上官翼が手づから食物をととのえ、食べさせようとしても、食器ごと奪い取ってしまう。息子はだんだん痩せ細って、餓鬼のようになった。

 上官翼は一計を案じて、密かに毒を用意した。
 秋の時分だったので、油麻の熟したのを採り、炒って香ばしくして、二つの食器に盛った。さらに片方に、毒を加えた。
 まず毒のないほうを妻子らに食わせた。その残りを息子に与えると、化物娘はすかさず奪い取った。次に毒の入ったほうを息子に与えると、また奪って食った。香りのよいのに惹かれて、しきりに貪り食った。
 化物娘は、にわかに老狐の姿を現して苦悶し、転げまわった。それを生け捕りにして、焼殺した。一家じゅう喜ぶことこのうえなかった。

 日が暮れて後、大勢の人が泣きながら歩く声が聞こえた。霊堂の近くに来ると、いよいよ悲しげに泣き叫んだ。
 そのなかで、一人の老人の声が、
「おお、苦しい。喉の味わいのよさのせいで、命を失ったぞぃ」
と呻いていた。
 この往来は、数十日の間続いた。父母が死んで喪に服するときの衣類を着して、姿を見せる者もあったという。
 さすがに上官翼は恐ろしく思ったが、その後には何の祟りもなかった。
あやしい古典文学 No.1747