石塚豊芥子『街談文々集要』巻八「塚本怪白昼」より

白昼の妖怪

 文化七年のことだ。
 江戸小石川白山御殿に地所を借りて、御旗同心の塚本理太夫という人が住んでいた。
 最近引っ越してきたのだが、いたって吝嗇な人で、裏にひどく壊れた稲荷の祠があったのを、「なんの益もない」と打ち毀し、風呂の焚きつけにした。

 祠を燃してしまった日、どこから来たのか知れない老婆が一人、塚本宅の門内に入り込んでいた。何者かと問えども答えず、出ていけと言っても行かないので、無理に引き立てて門外に押し出すと、そのままいなくなった。
 そのとき奥の間で、理太夫の八九歳の男子が、アッ!と叫び声をあげた。人々が驚いて駆けつけてみると、背たけ八尺あまりもあろうかという大入道が立っていた。
 何者だ!と騒ぎ立ち、棒だ! 刀だ!と右往左往するうちに、大入道は一把のゴボウに変身して、縁の下に這い込んだ。
 これは、十一月二十日の白昼のことだった。

 翌日以降も、さまざまな怪異があった。
 よく熾った炭団(たどん)がいつのまにか布団の上に置かれて、煙が上がっていたことがあった。煙草盆が勝手に天井に上がった。積んであった柴が自然に焼けて灰になった。
 理太夫は、起こったさまざまな不思議を、ありのままに組頭に届け出た。
 それで同役二名が見張りに来ると、一人の下駄が座敷じゅうをころころ転げ回って、畳を泥だらけにした。もう一人のほうは、刀がおのずと天井に上がって、抜身が落ちて畳を貫いた。しかしながら、人が傷つくことはなかった。
 また糠だらけの沢庵石が転げ歩いたりして、さすがの理太夫もほとほと困り果てた。
 修験者を頼むと、祈祷に熱が入ったその時に錫杖を奪い、頭から風呂敷をかぶせたりするので、始末に負えなかった。白山下で霊符を修する行者に頼んだところ、たいそう法力があったのか、祈っているあいだは怪異がやんだが、翌日からは元どおりだった。
 さまざまな怪異の中でも、とりわけ八九歳の男子を脅かすから、子を親類に預けた。すると預け先へ付いていって怪異をなしたので、翌日には家へ戻された。
 だれが思いついたのか「狐の肉を喰うのがよかろう」ということになって、家じゅうの者が残らず狐を喰った。この所業に恐れをなしたのか、四五日間は何事も起こらなかったそうだ。

 あるとき向かいの辻番人が、塚本宅の表の方を見ていると、背の低い尼が垣根のあたりを歩き回っているようで、やがて火が出て燃え上がった。
 このときは近辺の者が騒ぎ立ててようよう消し止めたが、十二月十六日の午前十時ごろ、今度は屋根の上から火が出て、家を残らず焼き尽くした。
 この妖怪、夜には出ない。常に早朝から暮れ方までの間に現れるのも、奇妙なことである。
あやしい古典文学 No.1750