中西敬房『怪談見聞実記』巻之二「北国の杣人、山魅の為に害せられし事」より

山魅

 宝暦の初めころ、京都の錦小路あたりに三浦何某という儒者の住まいがあって、経書・詩文の講釈などを毎日行ったので、書生も多く集まり、いつも賑やかだった。
 その三浦の門人で北国の生まれの人が、あるとき、こんな話をした。

     *

 すべて深山幽谷には、山魅(さんみ)・魍魎(もうりょう)などの妖物がいて、人にさまざまな怪異をなすことは、和漢の書に記されているとおりだ。

 近ごろのことだが、わが生国で、奥山から材木を伐り出そうと、木こりが大勢集まり、山深く入って働いた。
 なにしろ深山のことで、里からは遠く往来も難所だから、まずは伐った材木を曳き割った板で壁を作り、屋根を葺き、食物・塩・酢を運び入れ、みな山住まいをした。それが木こりの習わしであった。
 板小屋を作ってから、さらに奥へ奥へと伐り入った。昼は終日木を伐り、夜は板小屋に集まって寝た。
 ある時のこと、仕事を終えて小屋に集まり、炊事して飯を食い終わり、夜話も尽きた。
「さあ、寝よう」
 十人あまりの木こりが枕を並べて臥したが 列の真ん中の一人は、なんとなく寝苦しく、鬱々として眠れずにいた。
 はや午前二時を過ぎようかというころ、何処から来たのか、身の丈が八尺あまりもある異形のものが小屋に入ってきた。猿のような頭で、眼は星のように輝き、真っ白な髪をかき乱した凄まじい怪物だった。
 怪物は端に臥した木こりに乗りかかり、その喉を舐った。目覚めていた木こりは『ああ、怖い…』と思ったが、逃げることもできず、枕元に置いた鉞(まさかり)をそっと引き寄せて布団の下に隠し、息を殺していた。
 木こりたち三四人が、次々に舐られた。ついに目覚めている木こりに乗りかかろうとしたとき、木こりは無我夢中で鉞を取り、寝たまま怪物の額の真ん中にしたたかに打ち込んだ。
 怪物はワッ! と一声叫んで、戸外へ走り出た。その瞬間、山谷は大いに震動して、大山も崩れんばかりに響きわたった。
 その音に驚いて、眠っていた木こり一同も目を覚ましたが、舐られた者たちは起き上がらなかった。呼び起こそうと近寄ってみると、なんということか、妖物が喉を舐ると見えたのは間違いで、みな喉笛を喰いちぎられ、朱に染まって死んでいた。
 小屋は大騒ぎになったが、真夜中だからどうすることもできず、ただ恐れ戦慄くばかりだった。
 やがて夜が白々と明けてきたので、木こりたちは化物の血の跡を辿っていった。すると不思議なことに、板小屋から十間少々の所にあった三抱えあまりの大杉が、根元から左右真っ二つに引き裂けていた。
 木こりたちは、
「さては昨夜の怪物は、杉の古木の精であったのか」
と、眉をひそめて言い合った。

 こうしたことは、深山では時々あることなのだ。
あやしい古典文学 No.1755