中西敬房『怪談見聞実記』巻之四「青侍、松が崎にて山神の祟りに逢ふ事」より

山神の祟り

 宝暦の半ばを過ぎたころのことだ。
 さる高貴な公家方に仕えた侍で、勘十郎という人がいた。年齢は四十歳ばかりで、わけあって暇を出されて六波羅辺に家を借り、京都四条の芝居狂言の脚本書きを渡世として、独り身で暮らしていた。
 この勘十郎氏が話したことである。

     *

 侍勤めをしていた壮年のころの私は、無節操な行いが多く、とりわけ殺生を好んだ。朋輩に何某という侍がいて、これも殺生好きだったから、「同気相求む」というわけで随分懇意な間柄だった。毎度二人で魚を獲ったり鳥を捕ったりしては、それを肴に酒を酌み交わした。
 あるとき、非番の折だから小鳥狩りに行こうといつもの友人を誘って出かけた。
 夜明けの小鳥を捕るつもりで夜中の二時ごろに出発し、北山松ヶ崎へと急いで、やがて山に着くと、いつもの場所に網を張りまわし、谷あいの石に二人並んで腰かけた。
「夜明けまでまだ間がある。煙草を一服吸おう」
 火打石と火口を取り出し、火を打って火縄に移すと、煙管に吸いつけ、すぱすぱと煙草をくゆらせながら、夜が明けるのを待っていると、向こうから一人の男がやってきた。
 男は箱提灯を提げて、用事ありげにここかしこと見回していたが、二人を見つけるなり、何者かと目を凝らした。男の持つ提灯の定紋は、私たちの主人のものだった。
「誰だ」
と声をかけると、すぐさま走り寄ってきたのは、よく見知っている中間だった。
「何用で来たのか」
「はあ、先刻から御両人をほうぼう捜し回っておりました。御主人の仰るには、『急用ができたので、二人のうち一人は即刻帰るように伝えよ。おまえはお供をして一緒に帰ってこい』とのこと」
 聞いて私たちは驚いた。
「急の御用とあれば、早々に帰らねばなるまい。まずは網を片付けよう」
 そう言って私は立ち上がったが、友人に押しとどめられた。
「せっかく張った網だから、おぬしは残って、獲物を捕ってから帰られよ。御用のわけは知らないが、一人帰れということだから、拙者が立ち帰って、急の御用を務めるほどに」
 友人は中間とともに尻からげで急いで帰ってゆき、私はただ一人、初めの石に腰かけて、『もうすぐ夜が明ける。そうすれば小鳥も飛んでこよう』などと思いながら、また煙草を吸った。

 朝鳥の鳴くのを今や遅しと待つところへ、耕作にやって来た一人の百姓が、不思議そうに、声をかけた。
「おまえさまは、なんでまた、そんな穢いところに独りで座りこんでおられるのか」
 それではっとして辺りを見回せば、まだ夜の内と思っていたのに東の空も白みわたり、石の上に坐っていたはずが、そうではなく、畑の肥溜めの縁に腰かけていた。
 自分ながら気が萎えて、『網はどうした』と見ると、ずたずたに引き裂かれ、糞壺の中に突っ込んであった。
 『さては狐狸に化かされたか。無念だ。小鳥は捕れず、網まで引き破られ、先に帰った朋友に何と言おう。面目丸潰れだ』と思ったが、いまさら仕方がない。一刻も早く帰ろうと身ごしらえしているとき、向こうの山の麓から、田桶を担いだ百姓たちが来るのが見えた。
 どうしたことだろう、先に帰ったはずの友人が百姓の肩につかまり、手を引かれて、ゆっくりこちらへ歩いてくる。走り寄って見れば、衣類は泥まみれ、足は茨に掻き破られて血みどろになっている。
 びっくりして、
「貴殿は急の御用とのことで夜の内に帰ったが、どんな御用を務めてそんな姿になったのか」
と尋ねると、友人は、
「それがな、おぬしも聞いたとおり急な御用の呼び出しだから、ずいぶん道を急ぎ、かの中間と連れ立って御屋敷へ帰るつもりが、あの者はこの山中を夜もすがら、山谷田畑の区別なく引きずり回した。その挙句、崖道から下の泥田へと拙者を突き落とし、たちまち姿を消したのだ。そのときやっと正気に戻ったが、あたりを見れば夜明け前の暗闇で、そこがどことも皆目分からず、そもそも身体疲れ果てて一歩も歩けない。仕方がないから田の畔に座りこんで途方に暮れていた。東の空が白むころ、百姓たちが来たので、頼んで肩を借り、やっとここまで帰ってきた。面目ないことだ」
と、顔を赤らめて言った。
「いや、貴殿だけではない。わしも化かされて、かくかくしかじか…」
 互いに次第を語り合い、大いに呆れていたが、いつまでもそうしてはいられないので、友人を肩にかけ、ようよう御屋敷に帰り着いた。

 思えば、たびたびかの山で無益の殺生をしたから、山人の祟りにあったのかもしれない。もう二度と行くまいと決めて、小鳥狩りには出かけたが、松ヶ崎へは足を向けなかった。
あやしい古典文学 No.1756