滝沢馬琴編『兎園小説』第八集「狐孫右衛門が事」より

狐孫右衛門

 筆者の家に長年出入りする者で、かつて下谷の長者町に住んでいた万屋義兵衛の母、みねの話である。

 みねの父は下総国赤法華村の農民 孫右衛門という者で、その家は代々主人が孫右衛門を名乗ってきた。
 六代前の孫右衛門が、江戸に出ての帰り、なんとかという野原を通りかかると、道の傍らに若い女が一人佇んでいた。
 女は、孫右衛門を呼び止めて言った。
「わたしは下総の某村へ行く者ですが、道の途中で日が暮れて、難儀しております。あなたさまがこの辺りにお住まいなら、お連れくださいませんか」
 一生懸命頼み込む様子に、孫右衛門も断れず、その夜は家に泊めた。
 あれこれあって、女はさらに二日ほど家にとどまったが、そのあいだ、家の仕事を骨惜しみせずよく手伝った。
 そんな気立てのよい様子を見て、孫右衛門の母が、
「うちの子は、まだ妻がいないのだよ。この家の嫁になる気はないかね」
と尋ねた。女が、
「実はわたしは、親兄弟もなく、頼る先のない身の上です。下総の村へ行くというのは、そこに僅かの縁があって訪ねてみようと思っただけなのです。わたしに異存はありません。お心に従いましょう」
と答えたので、母は喜んで、二人を結婚させた。
 ほどなく男子が生まれ、その子が五歳のとき、また男子が生まれた。
 冬のことで、妻は赤子に添え乳しながら炉端でまどろんでいたが、五歳の子が、
「父ちゃん、見て。母ちゃんの顔が、狐みたいだ」
と言う声に驚き、たちまち身を翻して家から飛び出し、そのまま駆け去った。
 家の者はみな慌て騒いで、周辺をくまなく探した。
 向こうの小高い山に狐の穴があって、その穴の口に、小児の玩具の茶釜と焼き物の煙管と、書置きのようなものが一通あった。さてはあの者は狐であったかと、夫ははじめて覚ったが、それでもなお、失踪した妻への哀慕の情はさめることがなかった。

 やがて長子が成長して孫右衛門の名を継ぎ、年老いて、
「廻国巡礼の旅に出る」
と言って家を出たが、それきり何処へ行ったのか、ついに帰らなかった。その辺りの者は、後々までも「狐のおじい」と呼んだそうだ。
 万屋義兵衛の母みねは、その狐のおじいの曾孫にあたるのではないかという。幼いころに赤法華村で、かの茶釜・煙管などを見たこともあったそうだ。
「わたしも狐の血筋なんです」
と細やかに語ったのを記憶して、ここに記した。なにぶん老女の昔語りだから、郡村の名さえ曖昧だし、遺漏も多いことだろうと思う。
あやしい古典文学 No.1761