『談笈抜萃』中より

行けども行けども金剛山

 須田小左衛門は、大阪近郷に住む清右衛門という百姓の長男で、剛猛で大胆な性格だった。いまだ少年のころから容易に親族に従わず、ともすれば人に勝る腕力にものをいわせようとした。
 小左衛門は十六歳のとき、父親に言った。
「俺を勘当してくれ。俺は諸国を巡ってみたい。途中でどんな難事に遭うやも知れず、どこかで死んでしまうかもしれない旅になるから、最初から親族などいないほうがいいのだ」
 しきりに言うので父親ももてあまし、ついに勘当して、次男で当時十一歳になる子を跡継ぎとした。
 その十七年後、父清右衛門は病死した。すでに長男は、勘当の日を命日として弔われていた。
 しかし、このたび親の十七回忌にあたり、小左衛門は生家に帰ってきた。三十五年ぶりのことだった。
 長い年月、どのように暮らしていたのか、小左衛門は問われるままに話した。

     *

 俺は家を出てからこのかた近頃まで、奥州や北陸のあたりにいて、時々盗賊を働いた。
 盗賊といっても、並の盗賊ではない。昔からの言い伝えで『世の盗賊の親方は深山の奥に隠れ家を持ち、そこから手下の者どもを出して人の財物を奪い取る。親方自身は、ふだんは城下に住んでいる』などというが、事実そのとおりだ。そこで俺は、盗賊の隠れ家を見つけ出し、盗賊どもを追い払ったり斬り殺したりして、貯えた金銀を奪い取るのだ。その金銀で世を渡り、諸国をめぐり、路銀が尽きるとまた盗賊の隠れ家を襲って、年月を送ってきた。
 だが、齢五十にもなって、故郷が懐かしく思い出され、帰ろうと心に決めて、奥州から江戸へ出た。それから上方をめざしたが、どの道を通ったかは自分でもよく分からない。なにしろ盗賊だから、本道は通られず、山中の間道を来たからだ。
 そうして、どこをどうして至ったか分からぬ山に着いた。人に尋ねると、金剛山だという。ならば故郷ももう近い。しかしながら、帰るのは久しぶりであり、まして三十五年も過ぎたからには、親ももはや死んだだろう。弟があったが、これもどうなったか知らない。とにもかくにも、手ぶらで帰るわけにはいかないだろう。なんとしてもこの山で、盗賊の隠れ家を探して金銀を奪い、それを手土産に帰ろうと思った。
 金剛山中を捜し歩いていると、南西の方角に大きな構えの屋敷があった。周辺には人家がない。さてはと思って近くまで行くと、堀をめぐらした敷地で、まわりを藪が覆いかぶさるように繁っている。しかし、優美な建物の中に、住む人があるようだ。座敷と思われる所からだいぶ隔たって土蔵があった。いたって丈夫で立派な建物で、座敷から土蔵へと屋根付きの廊下が続き、人が通うようになっている。
 『あの土蔵は金蔵にちがいない。よし、入って奪おう』と思い、午後の四時ごろだったか、藪をくぐり抜け、堀を跳び越えて、蔵の傍らに至った。
 そのとき人の足音がしたので、廊下の下に隠れて様子を伺うと、主人とおぼしい人が裃(かみしも)を着し、鍵を手に持ってやってきた。そのまま土蔵を開けて入ったから、隠れ場所からそっと出て、続いて蔵に入った。
 ところが、先に入ったはずの主人の姿がない。側に梯子があったので二階へ上がって見たけれど、そこにもいない。三階があると見えてまた梯子があり、上がって見ると、主人は仏壇のような所に向いてなにやら三拝し、平伏していた。
 梯子を下りて二階で待っていると、主人はしばらくして下りてきて、人がいるとも知らずに蔵を出て、戸を閉め錠を下ろして去った。
 『うまくいった』と喜んで、悠々と三階に上がり、かの仏壇のような所の扉を、錠を叩き壊して開けたら、内にもまた扉があった。その内にもう一つあって、三重の扉だったのだが、ことごとく叩き開けた。
 中にあったのは、烏帽子・直垂を来た人形だった。普通の人より大柄で、眼を剥き、片膝を立て、大いに怒っている。さすがの俺も、ぞっと身の毛がよだった。けれども所詮は人形だと気を取り直して、金のありかを求めて人形の周囲を見回した。
 金箱などは見当たらなかったが、人形の前に幅五六寸、長さ五尺ばかりの黒塗りの箱が、錠を下ろして置いてあった。『金にちがいない』と思って、また錠をこじ開けると、これも三重になっていた。その中は、立派な袋に入った一振りの刀剣だった。
 『はて、どういういわくのものか』と袋から出し、鞘から半ば抜いたところ、どうしたのだろう、ウッ! と呻いて倒れてしまった。あたりに人もなく、誰か介抱してくれるというわけもないから、久しく気絶したままだったが、剛気が取り柄の俺は自然に息を吹き返し、立ち上がった。
 『なるほど、これは名作にちがいない。金が見つからないなら、せめてこの刀でも取って帰ろう』。そう思って、刀を持って三階から下り、蔵の戸を開けて外へ出た。すでに夜は白々と明けかかっていた。
 それから大阪・堺へ出ようと、急いで金剛山中の屋敷をあとにしたが、どういうわけか行けども行けども、金剛山から出られなかった。
 『今朝から十二三里かそれ以上は歩いたのに、いまだに金剛山中なのは合点がいかない。しかも、昨日の昼からこのかたものを食っていないから、腹が減って歩くのがつらい。今朝から来た道の途中に、家の一つもなかったのはなぜだろう。なんとか人家に立ち寄って、食べ物を貰いたいものだが…』。そう思って目を配っても、どこまでもただの山の中だった。
 日の傾きかけるころになって、ようやく一軒の人家の前に至った。急いで入って、
「何でもよい。食うものをくれないか」
と声をかけると、一人で藁を打っていた老人が俺の顔をつくづく見て尋ねた。
「どこから来られた」
「今朝、このあたりを発ったつもりが、なにかと金剛山中で踏み迷って、街道に出られないのだ。どうか俺に食物を与えて、道を教えてくれないか」
 老人はにっこりと笑った。
「それは、おぬしが盗みをしてきたせいじゃ」
「ぶしつけな物言いをする老人だな。俺が何を盗んだというのだ」
「いやいや、居直りなさるな。何を盗んで来ようとわしはかまわぬが、おぬしの盗んだ刀はわけありのもので、それを持っているうちは、なんとしてもこの山を出ることはできぬ。わしはかまわぬから、持っていたければ持っておるがよかろう」
 ここで俺も、今朝からのことがあらためて訝しく思われ、わけを知りたくなった。
「なるほど、たしかに俺は刀を奪った。そのことをご老人は、なぜ知っているのだ」
「うむ。実はおぬしが刀を取った土蔵のある場所は、平惟持様の子孫の住まいで、蔵の中にある像は、惟持様が戸隠山で鬼女紅葉を退治した御姿だ。盗んだ刀は鬼女を斬った剣で、あの家の重宝なのじゃ。今朝がた、惟持様がわしの夢枕に立って、『刀を盗んだ者が今日の日暮れ前、ここに来るから、受け取って持ってまいれ』とのお告げがあった。それで知っておったのだよ」
 これを聞いて、はじめてぞっと身の毛がよだった。すぐに老人に刀を渡し、なんとか身支度をととのえ、それから夜通し歩いて、故郷の村に帰り着いたのだ。

     *

 小左衛門が帰ったとき、実家ではちょうど亡父の命日で、十七年の法事の最中だった。
 弟は清右衛門の名を継いでいた。弟十一歳のときに別れたきりだったが、さすがに血の通った兄弟で、互いに覚えがあった。
 今は小左衛門もかつての渡世をさらりとやめて、すっかり普通の人になって暮らしているそうだ。
あやしい古典文学 No.1762