青葱堂冬圃『真佐喜のかつら』七より

瘤の人

 江戸、馬喰町の旅籠屋の客だった常陸の国の人は、腰に大きな瘤があった。
 その人が、夏の夕暮れ、両国橋のあたりのあちこちを歩き回った後、橋上で欄干にもたれて涼んでいると、一人の掏摸(すり)が来て、帯の上に高く盛り上がった瘤を膨らんだ財布と見たのか、すっぱり刃物で切り取った。
 アッ! と叫んで血がほとばしり、掏摸も驚いて何処かへ逃げ去った。

 その人は気絶して倒れ、橋の上では群衆が「人殺しだ」と騒いで、はなはだ混乱の有様となった。
 橋番人が来て介抱し、ようよう泊り先の旅籠屋へ連れて行った。そこで医師にかかって療養し、いくぶん気も確かになると、国元へ帰った。
 郷里で良医を選んで薬を用いなどしたところ、疵口が癒えて尋常の人に戻った。
「長年邪魔だった瘤が、思いがけないことで取れた。まったく運がよかった」
と、その人は嬉しげに語っているそうだ。
あやしい古典文学 No.1763