藤貞陸『雉鼎会談』巻之三「女嚼夫」より

男を喰う女

 もと木村長門守の家来だったが、咎めを受けて浪人し、上総国に下った長沼某という人がいた。
 長沼には最愛の娘が一人あり、世に稀な美しい容姿であったから、妻に望む人が大勢いた。両親ともそれを喜び、あの男はこうだから…、この男はああだから…、などと人選びして、娘が十七歳になるまで年を過ごした。

 言い寄ってくる大勢の中で、同じ国の郷士の松井某が目にかない、やがて婿として迎え入れた。
 新婚の夫婦仲はきわめて睦まじく見えたが、三月ばかり過ぎると、松井は日ごと急激に痩せ衰え、顔色は蒼ざめ、心が疲れ果てているように見えた。人々が怪しく思ううちに、はたして枯木が倒れるように死んでしまった。
 その後、また人が言い寄るようになって、隣国から佐野某という者が婿入りした。「去る者は日々に疎し」というとおり、娘はもはや松井の面影を夢にも見なかった。佐野は最愛の夫となったが、七日過ぎた朝、逃げ出して郷里へ帰り、門に守護の札など貼って、やっと息をついた。
 もとより恋い慕う人は多かったから、佐野が逃げたのを幸いに、今度は青木某が婿入りした。これまた相思相愛のように見えたのに、三日後、青木は「ちょっと思い出したことがある」と言って武蔵に旅立ち、再び帰らなかった。
 そして、しばらく婿取りの話がなかったが、ある人が、日下部という者の媒酌で婿入りした。またまた睦まじい仲だったのに、半月ばかりすると病みつき、ついに死に失せた。
 この後も、「やはり夫を持たないのはよくない」と周囲が言うので、父母もやむを得ず、江原某という者を家に入れた。しかしこれも十日ばかり経て、髪を切り、「思うところあって…」との文を残して、出家してしまった。
 こうなるとさすがに怪しく思われて、父母も縁談を求めようとしなくなったが、足利から田原弥太郎という者が、娘の美しいことを聞き及んで、あれこれと縁を取り結び、婿になった。これは何事もなかったのか一年ばかり住んだが、歳末の月半ば、にわかに病んで死に失せた。

 その後は婿の沙汰もすっかり絶えたかに見えたが、明くる年の夏のころ、相模国から臼部右衛門という者が娘を望んで来た。しかし、婚礼の儀式を済ませた日の夜半、右衛門はたいそう驚いた気色で閨を飛び出し、
「ああ、恐ろしや。これにて失礼…」
と扉を打ち破って、一目散に走り去った。
 父母が驚き、何事かと起きてきたところへ、娘が追って出て、
「もはや恥ずかしめに我慢ならない。あの男、逃がすものか」
と髪を振り乱して駆けていく。父母も続いて走ったが、遠く引き離された。
 娘は桐生という里で右衛門に追いつき、後ろから両肩に手をかけ、頭を喰い裂いた。血が紅の糸を乱したかのように凄まじく吹き出て、ついに男は喰い殺された。
 その場所には古い井戸があって、大きな釣鐘が落ちて沈んであった。いつの頃からそこにあるのか、横倒しになって龍頭の方が半ば東の横穴に隠れていた。水の浅いときには荒々とした疣がよく見えて、なかなかに恐ろしい様子だ。
 娘はそれを見て、
「この井戸こそよい棲み処だ」
と言うやざぶんと飛び込み、鐘の内に隠れた。
 そこへやっと父母が走ってきて、悲しみに身悶えしながら、これまでの次第を里人に語った。泣く泣く井戸を覗き込み、念仏など唱えて、やがて、なすすべもないまま帰っていった。

 その後、時代はるかに過ぎて、藤代内記という若者がその里を通ったとき、井戸のたもとに言いようもないほど美しい女がわびしげに立っているのを見た。
 女は内記の顔をまじまじと見つめた。内記も「怪しいな。こんな場所に高貴そうな女性がただ独り佇んでいるのは…」と思いながら、女を見返り見返り通り過ぎた。遠く過ぎると、女は井戸の中に入った。
「やっぱり怪しい者だった…」
 独りごとを言いながら行くところに、僧が一人、後から追いついてきて、
「お若い方、あの井戸のほとりで、怪しいことがありませんでしたかな」
と尋ねた。内記がしかじかのことが…と語ると、僧は、
「やはりおぬしのことだったか。さきほど井戸のそばを通ったとき、女の声がして、『ああ、思いをかけたのに、業物を差していたから、ものも言えずに行かせてしまった』と聞こえた。そもそもいかなる剣を身に添えておられるのか。なんにせよ、大切にして手放さぬようにな」
と話しかけて過ぎていった。
 内記はたいそう不思議に思ったが、その差した刀は津田越前守助広、脇差は助広がまだ若くて無名のころの作で、これに恐れたものと思われた。近年の作ながら名刀だから、そのように怯んだのだろう。まことに腰のものは武器の第一だと心得るべきである。

 それにしても、この娘はなにゆえに多くの夫を失ったのだろうか。
 逃げ帰った者の語ったところでは、
「婚姻ととのって床に入るに、夜が更けてから男の体を舐めはじめる。頭から足の裏まで、夜通し嘗める。また、あるときは夜半過ぎに起きて庭に出ると、泉水に浸り、その水を飲んだ。その姿はさながら蛇形のようで、面相は凄まじいかぎりだった。こんなさまを見て日ごろの恋慕も醒めはて、みな逃げ失せたのだ」と。
 そこをぐっとこらえて夫婦の交わりを続けた者は、みな病んで死んだのだ。
 父母も後にはそれとなく知りながら、さすがにわが子ゆえに愛しく、さまざまに加持祈祷などして婿取りしたのだが、甲斐がなかった。
 もともと蛇性だったのだろうか。まことに怪しい出来事である。
あやしい古典文学 No.1766