石塚豊芥子『街談文々集要』巻五「富山産奇子」より

富山の奇子

 文化五年のことだ。

 越中国富山の片田舎で、百姓の妻が男子を出産した。赤子は生れ落ちるやいなやものを言い、食事をねだって食った。
 産婆は仰天したが、もし産婦に知らせたら逆上して倒れるかもしれないと思い、手早く取り上げて別室に置いた。
 赤子があれこれと口を利くので、亭主をはじめ家族一同打ち寄って不思議がり、その旨を村の名主に届けた。名主が早速やって来て様子を見るに、届けに間違いはない。ただちに富山の役所に報告した。
 役人たちも不思議に思い、
「じかに吟味しよう。その小児を連れてくるべし」
と命じた。
 名主以下関係者が付き添い、役所へ赤子を抱いていったが、役所の門を入ると全くものを言わなくなった。付き添いの者はいろいろ話しかけてものを言うよう促すけれども、一言一句も発しない。
 役人たちに、
「そのほうたちは、なんとも不届きなことを申し出たものだ。役所をないがしろにするつもりか。しゃべったというのは、狐狸にでも誑かされたのであろう。早々に連れ帰れ」
と叱られ、一同はほうほうのていで退出した。
 帰る道々、赤子に、
「どうして口をきかないのだ。おまえが何も言わないから、われらの面目は丸つぶれだ」
と愚痴ったが、声をあげて笑って無駄口を叩くばかりだった。

 赤子が抱かれて家に帰ると、名主・年寄・村役人そのほか百姓どもが大勢集まり、あらためて尋ねた。
「なぜ役所ではものを言わなかったのか」
「富山の役人どもは上座にいて、われを下座に置いたから、口をきかなかった。無礼な者どもだ」
「ならば、上座に置くならものを言うか」
「そうするなら、口をきこう」
 村から赤子の言い分を訴え出ると、役人は聞き入れた。
「では、丁重に上座に置き、われらは下座にて聞くことにする。何かわけがあるのだろう。地元の鎮守がのり移りたもうたのかもしれぬ。急いで連れてくるように」
 そこで、また抱いていくと、役人たちは赤子を上座に置き、平伏して拝した。赤子が、
「もっと平伏せい」
と言うので、いっそう深く頭を下げた。
「よしよし。先ごろ無礼をはたらいたこと、まずは許す」
「ありがたき幸せ。ところで、あなた様は何様でいらっしゃいますか」
「われは加賀中納言なり。このこと、早々に本城に知らせよ」
 役人そのほか皆が、あっと驚いた。村の者に早く連れ帰るよう命じるとともに、金沢城へ報告の飛脚を走らせた。

 報告を受けた金沢城の重役衆が殿様に意向をうかがうと、心当たりがあるとのことで、さっそく赤子とその親に十五人扶持を下された。そのほか衣類・雑用金まで、残らず殿の計らいで下され、別に乳母二名を付けられた。
 すでに殿様には、このことのお告げがあったらしい。
 あまりに珍しいことなので、富山の者の話したことを、ここに記す。
あやしい古典文学 No.1768