中村満重『向燈賭話』巻之五「赤坂の蜘の囲」より

赤坂の蜘蛛の巣

 享保十八年夏半ばのことだ。

 赤坂田町五丁目の伊勢屋八兵衛は、赤坂新町四丁目に住む親があって、それが急病との知らせを受け、取るものも取り敢えず、闇夜の中をひとり出かけていった。
 相良遠江守の屋敷と杉田源左衛門の屋敷が道路を隔てて向かい合わせになっているところを通るとき、後ろからなにか知らないものが、不意に背中を強く押した。
 思いがけないことで八兵衛はなすすべなく、大下水(おおげすい)に突き落とされ、泥まみれになった。
 とにかく親のことが気遣われたので、そのまま急ぎ足で親の家に行くと、病状はさほどでなかった。そこでほっと安心して、道を変えて我が家へと帰った。

 八兵衛は、翌晩も親の様子を見に行こうとして、つらつら思った。
「先年よりあの場所で、下水に突き落とされた人が多数あるらしい。若い者の悪戯と思っていたが、昨夜の様子から考えると、まさしく狐狸が妖怪をなすのだ。正体を暴いて、人々の疑念をも晴らしてやろう」
 しっかり身支度し、一刀を帯びて、用心して出かけたが、その夜も闇夜で、ものの色合いも見分けられない。油断なく周囲に心を配り、背を丸めて窺い見るに、二つの屋敷の間の昨夜襲われたところには、蜘蛛の巣とおぼしいものが張られて道を塞いでいた。
 押し通ろうとするも、蜘蛛の巣が顔面に纏いつくばかりで通れず、しばらく立ち往生しているとき、突然頭上に盤石を落とすかのような轟音がした。
 八兵衛は思わず尻もちをつくと、それきり五体が竦んでしまった。家を出るときの勇気はたちまち挫け、恐怖して這う這う引き返すと、田町表通りに回って、やっと新町まで行った。
 その夜は親の家に泊り、夜が明けてから帰った。
 この蜘蛛の巣、何ものが化したのだろうか。
あやしい古典文学 No.1789