中村満重『向燈賭話』巻之五「蝙蝠の怪」より

蝙蝠の怪

 市ヶ谷の定火消屋敷で、ある番人が火見櫓に上っていると、真夜中の午前二時過ぎ、ばたばたと物で叩くような音が聞こえた。
 何だろうと外へ顔を出したところ、櫓の四方が袋のようなもので包まれて真っ暗になり、何か分からない怪しいものが番人の首筋を掴んで、強く締め付けた。
 息が詰まってたまらず、苦しまぎれに脇差を抜いて振り回し、袋を突き破った。すると掴まれた首筋が放たれ、またばたばたと羽音がして、怪しいものは飛び去った。

 翌朝、朋輩が来たので、夜に起こったことを話した。朋輩は老人で、
「うん、そういう怪は聞いたことがある」
と、次のように語った。
「年を経た蝙蝠は、常に空中を飛行して、火見櫓あるいは辻番所など人家を離れたところを狙う。おのれの羽翼をもって天井を覆い、爪をもって人の喉を掴んで呼吸を止め、殺害するのだ。
 老蝙蝠が妖怪をなす例は、数多ある。木曾の山中では白昼にも現れ出て、木こりや狩人などの目をくらまし、頭を毟り、体を掻き破るなどはしょっちゅうのことだ。
 山の人々は馴れているから、そうした怪異に遭っても少しも驚かない。持っている山刀または棒などで羽翼を払いのけると、蝙蝠は飛び去って、害を免れることができる」

 番人は、
「昨夜の妖怪は、まさしく老人の言う蝙蝠だったろう」
と、知人の樋口某に話したそうだ。
あやしい古典文学 No.1790