藤井懶斎『閑際筆記』巻之上より

臨終の言動

 父母の臨終の折、僧や尼を家に呼ぶ者は、思慮深くあらねばならない。

 近ごろ、内藤某が熱病に罹って死んだ。死に際にはうわごとを口走り、幻覚を見て怯えた。
 僧が一人ふたり、そんな死の床のさまを傍らで見守った。やがて出てきて言うことには、
「内藤氏の臨終は、見るに忍びなかった。ひたすら自らの罪状を口走り、ひたすら悪鬼の群れを見て亡くなった」と。
 これを聞く者はみな、内藤には知られざる悪事・悪心があったのだと思った。
 しかし、内藤と懇意にしていた筆者に言わせれば、彼は正直で、慎み深い人物だった。生涯六十年、一度として悪名が立つことはなかったのに、没後このように不当に貶められるとは、あまりに嘆かわしい。

 病気が急に進むとき、病人が暴れ騒ぐか否か、うわごとを言うか否かは、決まったものではない。静かに黙っている者が善人とは限らないし、騒がしくて妄語を言い散らす者が悪人とも限らない。そのときの病勢が、そうさせているのだ。
 僧の言は愚かである。
あやしい古典文学 No.1792