『奇異雑談集』巻二「糺の森の里、胡瓜堂由来の事」より

胡瓜堂

 京都下鴨神社の森は、むかしは大木が多かった。広い境内に立派な社殿が甍を連ね、神威霊験あらたかであった。
 門前の町は広く繁盛し、民家が多く建ち並んでいた。都から比叡山に上る街道にもあたるので、人の往来が絶えなかった。

 門前町の西寄りに、綺麗で大きな家があって、女が茶屋を営んでいた。女はこの二年近くやもめの一人暮らしで、つねに茶屋の主人の席に座って茶を売った。
 あるとき、店先に板の棚を吊って、胡瓜五六本を出して売った。そこを比叡山の小坊主の三人連れが通りかかり、
「珍しい胡瓜があるぞ」
と近寄って、一人が胡瓜を手に取ると、
「わが師の僧の一物が、まさにこれだ。大きさといい形といいそっくりだぞ」
と言って、また棚に戻し、三人で笑って立ち去った。
 聞いて女は心を動かし、その一物への思いに憑りつかれた。いやましに募る執心から、やがて一つの手だてが思い浮かんだ。

 三人の小坊主は、京都でそれぞれの用事を果たしたため、帰りは別々になった。女はじっと街道を監視して、かの胡瓜を手に取った小坊主が一人で歩いて来るのを見ると、声をかけて茶屋に呼び入れた。
 女は茶をすすめながら問うた。
「ちょっと聞きたいことがあるが、おまえさんは何谷の何坊の人かね」
「東塔の東谷、正覚坊でございます」
「御坊様は祈祷のために、どこへでもお越しになるだろうか」
「それはもう、どこであれお出ましになります」
「ここのような見苦しいところへも、お越しいただけるだろうか」
「ええ、もちろんおいでになることでしょう」
「わたしには長年願立てしていることがあって、七日の護摩を行いたい。この奥の座敷でどうだろうか」
 小坊主が座敷に行って見て、
「護摩を行うにふさわしいお座敷です」
と言うので、女は、
「それならば、おまえさまに段取りをお頼みしたい」
と、飯やら酒やらを勧めながら、七日間の朝夕の布施のやり方などを相談した。
「それでは、御坊様によしなにお伝えあれ。明日にも、お受けいただけるかどうか、返事をくだされ」
と言うと、小坊主は、
「心得ました」
と、山へ帰っていった。
 翌日、小坊主が来て、了承を得たことを伝えたので、女は喜んでまた飯や酒をすすめ、進物を渡した。
「それでは、明日、師の僧のお供をして参ります」
 こう言って、小坊主は帰った。

 あくる日、小坊主が、本尊の絵箱、護摩の壇、仏具の箱、護摩木、礼盤などを荷って持って来た。その後に師の僧が、助手の僧一人と小者一人を伴ってやって来た。
 女は喜んで奧の座敷に招き入れ、やがて座敷を飾って、護摩が始められた。
 勤行の合間を狙って言い寄り、思いを遂げるつもりだったが、僧は少しの油断もなく、燈明を怠らずに勤行・看経し、横になることさえしない。言い寄る機会などまるでなかった。

 七日の護摩が終わると、女の挙動を怪しく思っていた僧は、暇乞いもせず門を出た。しかし女は、跡を慕ってついてきた。
 女が体に寄り添ってくるのを避けようと僧が足早になると、女もまた足早に歩いた。助手の僧と小者が近づいて、
「馴れ馴れしくするな。離れろ」
と注意したが、聞かなかった。
 袖に取りつく女を振り払って、僧は走りだした。女もまた走ろうとしたが、寺から迎えに来た衆が皆で取り押さえた。
 僧がはるか向こうに走り去るのを見て、女は大いに怒り、顔貌が一変した。恐ろしく凄まじいさまになって、道のほとりにある池に飛び込み、たちまち大蛇になった。辺りはこの異変を見ようとする群衆で埋まった。
 これはただごとではないと、地元から管領に知らせが行き、派遣された兵士が武器を振るって大蛇を退治した。
 殺し終わると、土を集めて池を埋め、大蛇をうずめた。その上に切り石をもって堂を建て、仏像を安置し、女の執心・悪業・蛇体変化の罪障を弔った。
 その堂は、そもそも胡瓜から事件が起こったというので、「胡瓜堂」と名づけられた。あたりの民家は、応仁の乱を避けて引き移っていったが、石の堂は残って今もあるそうだ。
あやしい古典文学 No.1794