根岸鎮衛『耳袋』巻の七「化獣の衣類など不分明の事」より

化獣の衣服

 大阪に古林見意という医師がいた。
 見意は、真田山あたりの学才ある老人のもとを折々訪問して、教えを請うていた。

 ある日、老人が見意と対座しているところに、なんだかもったいぶった感じの男が、こぎれいな衣服を着こんでやってきた。
「これはまた、遠方から何用でおいでかな」
「このたび用事があって遠国へ参ります。しばしの暇乞いに来た次第…」
 男は京都郊外の藤の森あたりに住まいしているそうで、老人は召使に申しつけて、ほかからの貰い物の牡丹餅を盆にのせて出した。
 男は礼を言って食べたが、人の姿をしているにもかかわらず、箸を遣わず、手で取りもせずに、俯いて口でじかに食った。
「では、遠方ゆえ早々に帰られるがよい」
 老人に促されて、男は帰っていった。
 そのあと、見意は尋ねた。
「藤の森まで、ここからは何里もあります。この日暮れになって帰るというが、夜通し歩くのでしょうか」
「あの者は、日が落ちないうちに帰り着くよ。なにしろ狐だからね。それはそうと、おぬし、あの者の衣服をどう見たかね」
「なにか立派に見えましたが、どんな品かは覚えておりません」
 すると老人は言った。
「そうだろうな。狐狸の類など、すべて妖怪の着服は、何なのか見留めがたいものなんだ」

 これは、見意が筆者の知人にじきじきに語った話である。
あやしい古典文学 No.1798