堀麦水『三州奇談』四之巻「妖女奉仕」より

異怪の女

 金沢長町の浅井多門という人は、廉直にして武芸のたしなみも忘れない人だった。
 ある夜、多門は友人の家を訪ねて、ずいぶん遅くなってから一人帰っていくと、香林坊のあたりから、先を行く若い女の姿があった。
 『こんな夜中に一人で出歩くのは、きっと浮かれ女だ』と思い、近づいて言葉をかけ、手を取ろうとすると、大いに恐れて逃げていった。
 ところが、多門が我が屋敷の門に至ると、かの女はそこに佇んでいた。怪しみながら門を叩いて下人に開けさせたところ、その女は影のごとくスッと門内に入った。
 『さては妖怪か』と身構えながら屋敷に入り、寝所に入って雨戸を開けたら、かの女が縁に上がってきた。「おのれ、来るか」と抜き打ちに斬りかけると、手ごたえはなかったものの、「あっ」という悲鳴とともに、女の姿は消え失せた。
 不思議なことに、悲鳴は台所の方から聞こえた。
 まず雨戸を閉めて、しばらく心を静めていると、台所のほうから、
「女中が一人、夢にうなされたあげく気絶した」
と騒ぐ声が聞こえてきた。どうしたのかと思い、
「薬でも飲ませよ」
と言いながら行ってみると、気絶しているのは先ほどの怪しい女だった。
 そのとき女中は正気づいて、多門の顔を見るや逃げようとした。それを止めて落ち着かせ、逃げるわけを問うと、こんなことを言った。
「さては、夢だったのですか。たしかに門前まで一人の侍と同道し、内に入ったところを抜き打ちに斬られたはずなのに…」
 多門は怪しみながらも、自分の見たことを語らなかったので、ただの夢だったということで終わって、女中らはまた就寝した。
 以来、その女中を尋常の者と思えず、いろいろ気をつけて観察したけれども、何の変わったこともなかった。

 古い怪談にも、魂魄が夢中に出歩くことが語られているが、どんな夢でも出歩くわけではあるまい。もしそうなら夜中は、億万の人の夢によって祭礼・踊場にも似た賑わいとなるだろう。
 魂魄が出歩く者は、人中の妖である。清水清玄(きよみずせいげん)、真砂庄司(まなごしょうじ)の清姫、これらはみな生まれつきの人妖なのである。

 奇怪な女は、今もいないわけではない。正徳年間、ある武家の当主が妾を求めたときのことだ。
 堀川の越中屋五兵衛という者の娘を、大変な美人であるうえに音曲にも通じているというので、仲介人を立てて妾として屋敷に入れた。
 主人は妾を一目見て、たいそう気に入り、掌中の珠とばかりに寵愛したが、三十日ばかり過ぎて、不審なことに気づいた。
 妾は真夜中になると、一時いなくなるらしい。どうも不審なので、ある夜眠ったふりをして様子を窺っていると、深夜、妾は主人の寝息を確かめてから立ち上がり、障子をそっと開けて外へ出た。
 『密夫でも来るのだろうか』と物陰から見ていると、妾は縁側からひらりと飛び、庭先の高さ三十メートル近い梅の大木に取りついて、鼠が壁を上るようにするすると駆け上り、梢に跨って四方を見回した。
 主人は驚き、『これはただごとではない。まさしく妖怪だ。下りてきたらただちに斬って捨てよう』と思ったが、ふと考え直し、床に戻って何事もなかったように眠った。しばらくして妾も戻り、先ほどのように寝息を確かめてから床に入った。
 夜が明けると、主人は年寄役の女中を呼んで言った。
「妾のことだが、いささか心に叶わぬところがあるから、暇を申し渡してくれ」
 突然の話なので女中も驚いて、いろいろ詫び言をし、どのような不調法があったのか尋ねたが、
「特に何というのではない。とにかく暇を遣ってくれ」
とのことなので、その旨を妾に告げると、妾は、
「仕方ありませんね。でも、今一度お目見えして、願い申し上げたいことがあります」
と言って、主人の前にしずしずと赴いて、かしこまった。
「私にお暇下さいましたのは、きっと深夜のことをご覧なさったからと存じます。それならば無理もないので、暇を取らせていただきます。ただし、ご覧になったことは、必ずや口外なさいませんように。万一あのことを露ばかりでも漏らされたなら、たちまちその夜から付きまとってお恨みいたしますぞ」
 主人は請け合った。
「安心せよ。けっして言わない」
 それで妾は快く暇を貰い、同じ家中の侍のところへ奉公に出た。そこでもなかなか気に入られたらしい。
 先の主人は首をひねり、『たしかに人ではないものだったが…』と思って、女のその後をたびたび尋ねた。他人は「いまだ未練があるらしい」と噂したが、そうではなく、まったく怪異を疑うゆえだった。
 しかるに女は、やがて鬱症を患い、ほどなく死んでしまった。それで先の主人は、葬儀の様子や埋葬の次第について、詳しく聞きただしたが、何の変わったところもなかったらしい。

 伝承によれば、備中の武将 三村親成は、銀針のごとき髪の妖女を殺した。備前岡山の家中の山岡権六郎は、契った女が妖女と知って刺し殺したが、死骸は常の女と変わらず、ただ足の指に水かきがあったという。
 野女・山姫などのほかに、世間に立ち交っている異怪の女もある。珍しくはないと思われる。
あやしい古典文学 No.1800