高古堂『新説百物語』巻之五「ざつくわといふ化物の事」より

ざつくわ

 讃岐の片田舎に、妙雲寺という寺があった。
 寺には「ざつくわ」と呼ばれる化け物が棲むと言われていたが、言い伝えのみで、実際に見たという人はなかった。

 良賢という僧が住職のとき、弟子に良敬という、博学で美男の若い僧がいた。
 あるとき、良敬が学問の息抜きに門前に出て夕涼みをしていると、蛍が二つ三つ、薄暮の中を飛んでいった。思わず誘われ、ぼんやり蛍のあとを追うところへ、後ろから静かに近づく者があった。
 振り返って見れば、やけに色の白い痩せた女が、髪振り乱して迫ってくる。良敬はぞっとして、思わず逃げ腰になった。
 女はにっと笑って、
「ここまで来たんだから、いいでしょう。私の家はすぐそこ。おいでなさいよ」
と、手を取って行こうとする。良敬が行くまいとして抗ううちに、日はとっぷり暮れて、物の見わけもつかない夜闇となった。
「この年月の我が想い、今宵こそ遂げずにおくものか」
 ついに女が強引に引き立てると、良敬は朦朧として夢に落ち入るかのようになり、その後のことは何一つ覚えていない。

 同夜、師匠の良賢は、良敬がいないのに驚き、あちこちを捜した。
 その夜のうちは行方が知れず、翌朝、寺からよほど離れた山の下に正体なく倒れ伏しているのが発見された。近寄って見ると、衣のいたるところに白い針のような毛が付着していた。
 寺に連れ帰って介抱し、やがて元気になったものの、その後の良敬は、ときどき狂気のように激して、かの女のことを繰り返し口走った。
 良賢は、とりわけ大事にしてきた弟子を害されて残念でならず、自分の居間に壇をつくり、十七日間の護摩行に入った。
 七日目の夜、何か分からないものが壇上に落ちてきた。良賢はそれを取り押さえて、脇差で刺し通し、跳ね返そうとするのを何度も続けざまに刺して、ついに化け物を仕留めた。
 化け物の大きさは犬ほどで、口が耳まで裂けていた。毛色はおおむね白く、背筋に黒い毛があった。何という獣とも知れず、妙雲寺の「ざつくわ」とはこれではないかと人々は言い合った
 良賢の名声はこれにより高まり、智行兼備の僧として敬われた。
あやしい古典文学 No.1802