『天文雑説』巻第一「洋中有不思議事」より

海の不思議

 最近、薩摩から上ってきた人が語った。

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 大海へ船を乗り出した当初は、たいそう心細い気がしたが、しだいに慣れてくると、海上ほど道のはかどるものはないと思った。陸路なら十日あまりもかかるところを、一日と一夜で走り着くのだから、すばらしい。

 それにしても、大海の中では、さまざまの不思議があるものだ。
 ある年のこと、強風に吹かれて昼夜七日ばかりも流されていたとき、夜、船が傾いて転覆しそうになった。たいそう恐ろしくて、五六人の船人が一ヵ所に寄り集まっていると、船のへさきのほうに奇妙なものが見えた。
 ひと囲いほどの太さの黒いものが、船ばたから上がってきて、船の上を横切り、また海へ入っていった。その長さは五六十間もあろうかと思われた。船べりの板で身を擦りまわしたとみえて、あとには油のようなものが五斗ばかりも、船底に溜まっていた。正体は何か、判別がつかなかった。
 その後、またへさきのほうを横切るものがあった。最初のに比べるとずいぶん小さかったが、同じように海へ入っていった。
 つくづく思案してみるに、海中に棲む長い大きな魚が、ときどき身を擦りたくなって、こんな振る舞いをするのだろう。

 また、エイというものが天に昇ることは、たびたびある。その音のけたたましさといったら、たとえば大鳥が連なり飛ぶ羽音のようだ。
 それから、海入道というものが海上に浮かび出てくる。黒く珍妙なもので、目鼻手足の区別も定かでない。忽然として海面に現れ、身の丈は六七尺もあろうか。そんなものを何度も見てきた。
 さらに、海中に雷が落ちた時ほど不可解なものはない。火の玉とおぼしきものが海に入るばかりで、それっきり空に昇る気配がない。あれやこれや、珍しいことが多いものだ。
 北海を航行したときには、海上が寒くて堪えられなかった。いっぽう南海は、はなはだ暑く、海の上は泡立って油のようだった。そのさらに南はみな泥で、船は進めない。
 そもそもインド・中国・我が国の間の海面は際限なく広いけれども、船の通れるところは南北・寒熱に挟まれた百里ばかりしかないと思われた。

 また、ある人は、「南蛮人の船は地の底を通る」と言う。
 どういうことかというと、世界は丸いもので、丸い面の上に山海陸路が散らばっている。この国にいて地面が平らだと思っても、そこを進めば次第に低いほうへ低いほうへと回っていくことになる。海の上でも、東から西へと遠く航行すると、しまいには、地の底を回ってきたかのように、東の出発点に至るわけだ。
 「これをもし疑わしいと思うなら、南蛮人の考えた世界の図をご覧あれ」とのことで、いろいろ変わった言説に耳を驚かされる。
 なにしろ広い世界のことゆえ、本当か嘘かは究明しがたい。
 しかし、水の流れゆくのを見ると、北から南に下るわずか二十里ばかりも川でも、源と末との高低を考えると、いくばくかの差がある。ただ僅かずつ低くなるので、人の目に立たないのだ。
 こうしたことに当てはめてみれば、かの人の語る説も本当ではないかと思えてくる。
あやしい古典文学 No.1806