藍沢南城『啜茗談柄』「刺大鼠記」より

草庵の大鼠

 越後蒲原の東、中野の里の草庵に、大鼠が棲んでいた。
 そこに住もうとする人があっても、大鼠を見ると必ず荷物をまとめて立ち去るので、定まった庵主がないまま、ついには久しく無人のままになってしまった。

 某藩の侍で、咎めを受けて致仕し、剃髪した人がいた。逞しくて怪力の僧で、この草庵に主がいないと聞いて、やって来て住んだ。
 僧は、黄昏時になると仏壇に燈明をともし、坐して経を読誦した。
 そのとき大鼠が梁から跳びおり、周囲をきょろきょろと盗み見た。大きさは子牛ほどもあった。たちまち仏壇の前に人のごとく立つと、鬚をよじり、顎をさすり、それから傍若無人に跳ね回った。
 このように鼠に嘲弄されても、僧は怒りを押し殺して読誦を続けた。やがて鼠は梁上に戻り、去っていった。僧もまた灯を消して寝た。
 夜中には、何かを齧るような音がしていた。朝起きて飯を焚こうとしたら、米が食い尽くされていた。
 僧の怒りはいちだんとつのった。
「自らの殺生を禁じた出家の身だが、あの狡猾な妖鼠は許しがたい。害もまた大きい。我が手を下さなければ、誰がやるというのか。次の住僧のために、あれを除くしかない」
 このように決心して、ひそかに匕首を懐に入れ、鼠の来るのを待った。
 夕暮れになり、火をともすと、はたしてやって来た。僧は瞑目して経を誦し、鼠を全く見ていないふりをしながら、動静を窺った。
 鼠がやや進んで、すぐ前まで近づいたとき、素早く起って押さえつけた。鼠は元来臆病だから、怯えて逃げ去ろうとしたが、僧はさっと背に跨り、喉を扼して刺し殺した。血がたらたらと刃を伝って流れた。
 僧は鼠の鬚と前脚を切り取って、屍を庵の裏に埋めた。鬚の長さは数尺に及び、その太さと堅さは鉄箸のようだった。前脚は、抱えて持つのが容易でないほど大きかった。
 与板の某氏が僧に請うて、その鬚と脚を所蔵した。世の物好きが、四方から見物に来たという。僧自身は、鼠を誅殺すると庵を去って、行き方は知れない。

 その後庵に住んだ者は、みな言う。
「今でも大鼠が出ることがある。猫の大きなやつくらいの鼠だ。その次に大きな鼠もいて、これも普通の鼠とはだいぶ違う」と。
 『酉陽雑爼』には、「すべて鼠は、死人の目玉を食うと鼠王となる。その小便の一滴一滴から鼠が生じる」とある。『剪燈新話』には、「一匹の白い大鼠が前にいて、豚ほどの鼠数匹がそれに従っている」との記述がある。民間に伝わった話で、必ずしも信憑性はないが、鼠王・鼠仙の類は実際にいるように思われる。中野の里の鼠も、それに近いものではあるまいか。
 また、『広韻』には、「偃鼠(えんそ)は牛ほどの大きさで、河に伏して水を飲む」とある。一方『荘子』には、「鷦鷯(ミソサザイ)は深森に巣を作るが一枝を要するに過ぎず、偃鼠は河で水を飲むが己の腹を満たす量に過ぎない」とあって、偃鼠と鷦鷯を小さいものの例に挙げている。このように大きな偃鼠と小さな偃鼠があるのは、鼠の群れに鼠王があるのと同じことであろう。
あやしい古典文学 No.1808