三好想山『想山著聞奇集』巻之四「信州にて、くだと云怪獣を刺殺たる事」より

くだという怪獣

 信州伊奈郡松島宿の北村と原村の間に、わずか五六軒の集落がある。
 享和年間のことと覚えているが、その集落の小右衛門という百姓の妹で二十六七になる女が、夜に寝に就いてのち、声を限りにヒィー!ヒィー!と泣きだしてやまなかった。
 毎晩のことなので家族も難儀して、医家の縣道玄(あがたどうげん)に治療を頼むにいたった。

 当時、道玄はまだ若く、諸国を巡る旅の途中、近隣の松島というところに滞在していた。
 治療を頼まれて、何という考えもなく小右衛門の家に行ってみるに、いかにも大きな家ながら、落ちぶれた様子だった。二十畳敷ほどの座敷もあったが、畳を上げて、久しく人が立ち入らないように見えた。荒れ果てた有様は、いかにも妖物が棲み処にしそうな古家だ。
 夜になって、便所の場所を子供に尋ねると、畳の上げてある古座敷の縁側を行った向こうにあると言う。
 燈火を持って縁側を伝い、曲がり曲がって古い便所の入口あたりまで来ると、額の左のところがヒヤリとした。べたつく血のりが付いたかのように冷たかったので、なんだろうと手で顔を拭ってみたが、何もなかった。
 小便を済ませ、再びそこを通ると、またヒヤリとしたが、道玄は、そんなことには動じない豪傑だった。ほかに何事もなかったから、家人のいるところまで戻って、不思議に遭ったことを語りると、
「あの便所は祖父の代に使っていたきりです。親の代からいっさい行きませんから、妖物でも棲みついたか知れません」
とのことだった。
 その夜は妹も泣かなかったので、道玄は、また明晩来ると約して帰宅した。しかし帰宅しても不審は晴れず、翌日は、暮れるを遅しと小右衛門の家へ行った。

 前夜のごとく燈火をつけて、左手に持った。右手には、黒塗りの薄紙を張って白刃を隠した抜身の脇差を持った。脇差の柄を左の腰骨に当て、切っ先を上にして左の肩先に当てて、左袖でそれとなく隠した。
 かの場所に至り、左の頬がヒヤリとしたと同時に、脇差を「骨も通れ」とばかり力いっぱい突き上げた。凄まじく手ごたえがあり、だらだらだらと額に流れかかるものがあって、怪物は逃げ失せた。
 台所へ行ってよく見ると、額から肩にかけて、おびただしく血がかかっていた。
 よく血を拭って再び燈火を灯し、怪しい場所のあたりを調べたが、血が流れている以外に何もなかったから、そのまま部屋に入って寝た。小右衛門の妹は、その夜も泣かなかった。

 翌朝、ゆっくりと起き出して朝飯を食べていると、かの便所に近い隣の家から、人の騒ぐ声が聞こえてきた。
[変な獣が、深手を負って死んでいる」
 行ってみると、隣家の地面に高く築かれた芋を囲う室の上で、便所から飛んできた姿勢のまま、怪獣が死んでいた。
 大きさは大猫ほどあり、顔は全く猫のようだった。体は獺(かわうそ)に似て、毛色は全体に灰鼠色、尾は栗鼠のようにはなはだ太くて大きかった。そいつが、左の下腹から右の脇腹まで、斜めに突き通されて死んでいたのだった。

 この獣は何か、見知っている者はなかったが、信州で言う「管(くだ)」という獣であろうと考えられた。
 くだは、はなはだ妖しい獣で、ふつう姿を人に見せることはない。「くだ憑きの家」といって、特定の家の人に代々付きまとうので、その家系は、婚姻などではことのほか忌避されるという。
 他の国には「管狐(くだぎつね)」と呼ぶ獣がある。信州の「くだ」も、尾の太さからみて狐の種類には違いないだろう。
 三河・遠江などで「くだぎつね」と呼ぶのは、ずいぶん小さくて、管の中に入るからその名がついたとされる。実はもっと大きくて鼠くらいある狐だと、実際に見たという三州荒井の人に聞いたが、種類が色々あるらしいから、管に入るのもあるかも知れない。しかしながら、信州の「くだ」は「くだぎつね」とは全く別種と思われる。
 ともあれ、小右衛門の家に出た妖獣は、同地で誰も見たことのない珍しいものだと評判が高くなり、高遠の城下からも人々が見に来た。
 小右衛門の妹の泣くことは、この獣の仕業だったらしく、その後は止んだ。

 この話は、縣道玄から直接聞いたことに基づいている。あまりに珍しいので、獣の形も描いてもらって、後の証とした。
 道玄は、諸芸において人に長じ、武芸もすぐれた人である。
あやしい古典文学 No.1810