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藤岡屋由蔵『藤岡屋日記』第十九より |
みずから陰茎を切る |
北品川宿馬場町で餅菓子屋を営む清兵衛は齢ニ十一で、妻くめは三つ年下だった。夫婦の仲は睦まじかったが、清兵衛の妻への執着が度を越している感もあった。 くめが弘化三年十一月七日、難産で死ぬと、清兵衛は悲嘆のあまり錯乱して、もはや家業を続けられず、家財等処分のうえ、親類へ引き取られていった。 しかるに翌年二月、清兵衛が菩提寺である覚林寺に来て、こんなことを言った。 「亡妻が毎晩夢枕に立って申しますには、互いの執心の深さゆえ往生できないから、出家してくれとのこと。なにとぞ私を弟子にしてください」 容易ならざる申し出だから、覚林寺としては即答はできない。寺内で慎重に相談しているさなか、今度は清兵衛の親類衆が同道して来て、 「見てのとおり乱心しておりますが、剃髪でもいたしましたら快方に向かうやもしれません。どうか本人の望み通りに取りはからいを願います」 と頭を下げた。 それで結局、清兵衛は剃髪し、覚林寺に入った。 二月二十六日の夜、清兵衛はひそかに起き出し、くめの死骸を掘り返した。そして自分の陰茎を剃刀で切り取り、死骸の手に握らせると、また元どおり埋め戻した。 翌日になって住職に、 「亡妻がまたまた夢枕に立ち、陰茎があると出家が成し遂げ難いから、切り取ってくれるよう申しますので、しかじか……」 と前夜の所業を告白した。 住職は驚き、清兵衛をこのまま寺内に置いては、さらに何事をしでかすやら知れないと危ぶんで、品川宿で水茶屋を営むつねという親類に引き渡した。 その後は、柴田町三丁目の医師 村越宗玄に療治を頼み、服薬・手当をしているらしい。 |
あやしい古典文学 No.1816 |
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