井出道貞『信濃奇勝録』巻一「猿手狸」より

猿手の狸

 文化元年の秋八月、信濃の山辺上金井という里で、ある人が桑畑に行くと、怪しい獣が畑の中を駆けまわっていた。犬を連れて行って獲らせようとしたが、獰猛な獣で、犬もひるんで近寄ろうとしなかった。
 それで、土地の猟師に頼んで鉄砲で撃たせたけれども、弾に当たってもなお狂い走って、荒々しいことこの上なかった。
 それでもついに倒れ死んだので、近寄って見ると、形はまったく狸のようで、ただ通常の狸より少し大きく、毛も太くて黒味が強かった。また、狸より口の切れ込みが深く、歯が長く、眉の白味が強かった。
 さらに狸と違う点は、四足がほとんど猿のようで、そのうえ指の股に水かきがあることだ。木にも登れそうに見えるが、実際に木に登った形跡はなかった。

 この獣の名を知る者は現地にいなかったので、松本へ持って行って尋ねたところ、『本草啓蒙』に載る「猿手狸」だといい、また『本草綱目』にある「風狸」の類だとの説もあったそうだ。
あやしい古典文学 No.1821