谷川琴生糸『怪談記野狐名玉』巻之五「廻僧昔咄の事」より

赤蜘蛛

 七十余歳だという回国の僧が、奇談を語った。その僧の先祖が八十余のときに聞いた話とのことだった。

 越前国の真菰の淵近くに、山寺があった。その寺の住職がいつの頃か失踪したので、本寺から後継の住職を送ったが、着いたその日の夜のうちに姿が失せた。
「これは不思議だ。さだめし怪しいものの仕業だろう」
 本寺は大勢の勢子を集めて、かの山寺の周囲を取り巻いた。
 提灯・松明をこれでもかというほどにともして、天にも映る火の光の下、さかんに鉄砲を放ち、陣鐘・太鼓・法螺を鳴らしたてたから、慌てふためいた数多の獣が駆け出てきた。そのさまは、富士の巻狩りと見まごうばかりだった。
 凄まじい騒ぎに驚いてか、化鳥のごときものも飛んで出たので、それを鉄砲で撃ちとめた。
 死骸を見ると、鳥ではなく赤色の蜘蛛だった。体一面が猩々の毛のようなものに覆われていた。
 そのまま持ち帰っていろいろ言い合ったが、何という名のものか誰一人知らなかった。千年ほど前に中国にいた蜘蛛だなどと話す者もあったが、書かれた本があるわけではないから、まるで確かでない。
 結局、ただ「赤蜘蛛」とだけ言い伝えたとのことだ。
あやしい古典文学 No.1829