堀麦水『続三州奇談』八ノ巻「蛇気の霊妖」より

蛇気

 龍が昇るという情景を見るに、雲中より太く垂れ下がるものがある。その大小・長短は時によって異なる。
 紅毛人はこれを水柱だとして、石火矢で石弾を撃って打ち倒せば、荒れ模様の空もたちどころに晴天となるなどと言う。すなわち、「生物による現象ではない」という説もある。しかし、どう見てもこれは龍気である。間違いない。
 越中滑川の水橋あたりでは、時として数匹が一度に昇ろうとする。当然、沢山の人がそれを見物するわけだが、べつに周囲に風が吹き荒れもせず、なんだか拍子抜けの情景だ。
 中には、呼んだ雲が来るのが遅く、待ちきれずに頭を下にして元の水面に落ちてゆくものがある。そのときには、角ばった長面で髭のある顔がよく見える。絵に描く「雨龍」というものに似た顔だ。また、横倒しに落ちるのもある。「ずいぶん間抜けな格好で……」と、見た人々が詳しく語った。
 失敗が不格好なのはしかたない。成功の場合は、雲と波をともなって勢いよく昇る。そうなってこそ龍だと言えるのであって、昇りはじめは蛇なのだという。

 安永八年三月のことだ。
 這槻川の岸辺に、川渡しを稼業とする忠右衛門という者があった。兄が一人いて、三ヶ村の長右衛門といった。
 長右衛門は、先年、庭の松の大木を伐ったが、地中に延び広がった根は残ったままだった。今度はその根を掘り回し、いよいよ引き起こそうとすると、根の底に蛇が蟠っていた。
 三尺ばかりの普通の蛇に見えながら、なんとなく気配が恐ろしかったので、手伝いの者は躊躇した。
「長右衛門どの。この蛇は、なんだか顔つきが只者でないように見えます。触らぬ神に祟りなし。また土をかけて、埋めておいてはどうでしょう」
 長右衛門はきかず、
「こんなものは、打ち捨てるにかぎる」
と、底に杖を入れて掻き出そうとした。
 蛇は、はじめは容易に動かせそうだったが、後には重くなって難渋した。十人ばかりも寄り集まって、鉄棒など用いてようやく抉り出した。
 地上に出すと、五六尺ばかりの蛇になった。それを突き転ばして川に捨てた。ところが、水に入るや真っ直ぐに立ち上がり、長右衛門を襲ってきた。このときは、一丈あまりの大蛇になっていた。
 長右衛門は懸命に逃げた。弟の忠右衛門の家にさしかかると、その傍らに堀があるのを幸いとして、横に飛び越え、そのまま縦に走って、家の内に駆け込んだ。
 蛇はまっすぐに馳せ過ぎた。長右衛門家まで戻って元の松の根の底に入ったか、あるいは他国へ去ったか、再び形を見ることはなかった。

 そのとき以来、長右衛門は病みつき、煩悶してやまなかった。
 魚津の法華山長慶寺は祈祷で名高く、長右衛門家の菩提寺でもあったから、そこへ人を遣って相談したところ、
「それは、蛇気に冒されたのである。この先、必ずものに狂うことがある。用心せよ」
と返事をよこした。
 実際そのとおりで、同日夜より長右衛門は乱心の態となり、横に倒れて這い回った。また、大きな石を這いながら引っくり返すなど、十人が力を合わせたほどの怪力を示した。
 弟の忠右衛門は大いに驚き、大勢を動員して取り押さえ、縛り上げて、家の柱に繋ぎ置いた。
 ひとまずこれで安心と、皆は引き上げた。その後に、知り合いの馬子がやって来て、長右衛門が縛られているのを見て声をかけた。
「これはまた、どうしたことですか」
「弟にやられたんだ。早くこの縄を解いてくれ」
 馬子が、何かわけがありそうだと思って手を出さないでいると、
「解くのが駄目なら、そこに生えている草を一掴み、わしの口に入れてくれるだけでいい」
と言うので、かわいそうに思って、頼みをきいてやった。
 草を食って暫くすると、力が増した長右衛門が、縛めをぶつぶつと断ち切った。大手を振り振り外へ出ていくのを見て、馬子は仰天し、忠右衛門のもとへ走っていって告げ知らせた。
 忠右衛門はまたまた驚いた。兄が人々に危害を加えたら大変だと、馬子をはじめ近郷の者三四十人を雇って、大急ぎで駆けつけたときには、長右衛門はすでに髪を振り乱し、当たるを幸いに石礫を投げ散らして暴れていた。
 往来の人が大迷惑しているのを見て、忠右衛門は気の毒がり、例の馬子に、
「余計なことをしてくれた」
と恨み言を言わずにおれなかった。
 馬子はやむなく仲間に声をかけ、大勢で長右衛門に押しかかって、ついに捕らえた。しかし、寄ってたかって手荒く打ち伏せたのが災いしたのか、縛り置いたその夜の内に、長右衛門は絶命した。
 死人が出たことで騒動となり、今はまだ詮議の最中である。だが、蛇が憑いたことの証拠は明白だから、咎めはごく軽いものとなるであろうと思われる。
あやしい古典文学 No.1832