『宗祇諸国物語』巻四「老栖古猿宿」より

猪に乗って去る

 京都の北の愛宕山に詣で、峰を越して高尾・栂尾に向かった。
 その道の中間から月輪寺は遠くないと聞いていたから、柴を負った老人に道を尋ねて、観音の霊場を拝した。

 傍らに粗末な庵室があって、ずいぶん年をとった僧が一人で住んでいた。問えば、御堂の雑用を勤める承仕法師で、俗に「火ともし」という者だった。
「人の行き交いもないこんな幽谷では、昼でさえ心細いのに、夜などさぞ物凄く、堪えがたい思いをするのではないですか」
と話しかけると、
「そうでもありません。若い時からここに住んで、今は七十歳ですが、この齢まで、さしたる不思議も見ませんな。たしかに慣れないうちは、鹿や狼の声も恐ろしく、数千の猿の群や幽かにともる狐火など、気味悪いものでした。しかし、『深く一途に仏に仕える身を、たとえ獣であっても思いやってくれないはずがない』と信じて長い年月を過ごすうちに、獣類も馴れ親しんで、我を友と等しく思ってくれました。我もまた、彼らが来ないときは、松を吹く風も物寂しく、あたかも須磨浦にて時雨を聞く心地がいたします。
 物ごとは、馴れるほどに覚束なくなります。長い年月、悟りの境地に入る道に馴染んでおきながら、いざ現世を出るとなると迷いが生じるのも、道理なのです。獣を恐ろしいと思った昔に死を迎えておれば、世に思い残すことはなかったものを、今はこれらの獣さえ可愛く思えて、捨てゆくことがいかにもつらい。財宝に満ち子孫多くして繁栄している人は、どれほど俗世に執着があることかと、推し量られます」
などと、慎み深く語った。

 そのとき、大きな猿が二匹、美しい苺の実をひと掴みずつ持って庵の入口までやって来た。
 客のいるのを見て足早に帰ろうとしたが、僧が呼び返すと、苺を捧げ、そのまま去らずに庭で遊んだ。
「ご覧なさい。このように山野の果物を代わる代わる運んで、親しんでくれるのです」
と言う僧の気持ちを思いやれば、なるほど往生の瞬間に未練が残るのではと悩むのも、もっともであった。
 僧が縁に出て手を打つと、見慣れぬ獣が雲霞のごとく現れ、鳥類もまた梢に群がって羽を休めた。
 やがて、僧は一頭の猪にまたがって庵の外へ出たが、去るほどにぼんやりと姿が消えて、行き方は知れず、ただ住む人のない庵ばかりが残されてあった。
あやしい古典文学 No.1836