蜂屋茂橘編『椎の實筆』巻二十四「筑前の妖物」より

筑前の妖物

 延宝八年四月の末のことかと思われる。
 筑前国本木村の村長何某の妻が、夕方、近くの田んぼに出て、蛍の飛び交うのを見ていた。
 ふと『この蛍、手に取りたい』と思ったとき、一人の美少年が現れて、蛍を獲って手渡してくれた。少年の顔の美しさに、妻の心は恍惚となったが、『この辺りに、こんな美少年がいるはずない』と我に返って、急にぞっと身の毛がよだち、急いで我が家へ帰った。
 夫にこのことを話したが、狐狸の仕業であろうということで終わった。
 しかしその後は、夜ごとにかの美少年が忍んで来た。
 妻がかたく戸を閉ざして会わないのを恨んでか、外から石を投げつけることがやまなかった。
 そのころ、ここかしこの村民の婦女が妖物に魅せられて孕み、産後すぐに死んだ。子はたいがい異形のものだった。ある女が産んだのは、一人は普通の赤子だったが、もう一人は猿のようなもので、産まれるやいなや床下に入って逃げ失せたという。
 家ごとに用心はするが、妖物が来るときは、自然に眠り込んで気づかない。修験者または神職に頼んで祈祷をしても、いっこうに験がない。かえって妖物のために散々な目に遭って、逃げ帰った神職もあった。
 村長の家では、あるときに人が多く集まり、妖物が来たら打ち殺そうと待ち構えたが、実際に妖物が来て座中を横行する姿が影のように見えながら、これを獲ることができなかった。その体たらくに、村長の父親の老人は、妖物に辱められることを口惜しがって自殺してしまった。

 昔から村民の中に、「郷筒(ごうづつ)」といって、国主から鉄砲を撃つことを許されている者がある。
 本木村から一里足らずのところに許斐嶽という古城の跡があり、そこへ行った者は帰ってこない魔所だとの言い伝えがあった。近ごろその許斐嶽から妖物が出て街道を過ぎると風聞するので、国主は郷筒の者どもに、街道に出て妖物を撃ち留めるよう命じた。
 彼らは、異形の獣を多数撃ち取った。その後、街道以外のところでも多く仕留めたとのことだ。
 また、足軽の折竹兼右衛門は、罠で狐を獲ることに長けていたので、この者も国主から妖物を獲るよう命ぜられた。
 兼右衛門は、大工を連れて本木村に至り、罠を作ることを命じて、自分はいったん旅宿に帰った。大工は残って罠を作り、試しに仕掛けたら、たちまち異形の獣が一匹かかった。しかし、大工が慌てて武器を取りに行った隙に、妖物は網を食い破って逃げ失せたという。惜しいことをしたものだ。
 ここに一つの笑い話がある。
 近くに住む斎念という法師が、罠を見て何気なく触ったところ、罠が跳ね返って斎念を吊り上げた。その物音に人々が駆けつけ、
「斎念に化けた妖物が、どじを踏んで罠にかかったぞ」
と、皆で打ち叩いた。斎念がわけを語ろうとしても誰も聞かず、死ぬほど殴られたが、最後には妖物でないことが分かって、薬など与えて介抱したという。とんだ災難である。
 その後、この罠で異獣一匹を捕らえた。しかし妖物が出ることは止まなかったので、犬を集めて防ぐことを試みたが、犬も恐れて役に立たなかった。

 六年を経て貞享二年、国主から二匹の名犬が派遣された。福岡城中に飼われていた犬で、一匹の名をムサ、もう一匹をサルといったが、サルのほうは妖物を恐れて福岡へ逃げ帰った。
 ムサはサルにまさる逸物で、あるとき妖物と噛み合い、ついに斃れ死んだ。妖物は何処へ逃げ去ったのか、そののち出ることはなかった。
 ずっと後のこと、村役人の家が老朽したので建て替えようと壊したところ、床下から怪しい骨が出た。ムサに傷つけられて死んだ妖物の骨ではないかと、人々は言い合った。その骨は、今も本木村にあるとのことだ。
 その後ここらの猟師が山に入って狩りをしているとき、怪獣に出遭った。本物の妖物は、それではないかとも言われる。
あやしい古典文学 No.1840