中山三柳『醍醐随筆』下より

光るもののこと

 河内国高安郡に、光るものがあるという。
 その辺りに住む者五六人が、納涼のために野をそぞろ歩きしていたところ、光るものが西南の山のほうから飛んで来た。そのまま田の中の杭に留まって、火を吹くごとく生き生きと光った。
 仲間の一人の少年が、「正体を見てやる」と言って近づき、刀を抜いて切りつけると、二つに割れて落ちながら、光はなお消えなかった。
 松明などを近寄せて見るに、大蜘蛛であった。形は碁盤の角を丸めたようで、金箔を擦りつけたみたいな黄紋があった。その紋が光るのだった。光りようは蛍と違うところがなかった。

 鯛という魚も光る。ただし、鯛がすべて光るわけではない。魚によるようだ。
 ある人が鯛を切って鉢に入れておいたら、夜になってすさまじく強く光った。それを煮て食ったが、害はなかった。
 蛸も夜になると光を放つ。とりわけ大潮の夜はよく光る。
 ある人の庭の木に、夜になって光り物がとまった。鉄砲で撃ったが、五位鷺(ごいさぎ)のようだった。五位鷺も光るものなのだ。
 また、深山に久しくある朽ちた木や朽ちた竹で、湿って白く黴っぽいのは、その白いところが暗夜になると光る。乾いたのは光らない。

 俗説に、人魂が飛ぶということがある。
 「人魂が飛ぶと、必ずその家内の誰かがほどなく死ぬ。二三年過ぎて死ぬこともある」などという。
 人魂は青くまた赤い火の玉で、ゆらゆらと揺らめき行くというが、そんなことがあるとは思えない。魂が飛び出た身体が、しばらくでも生きていられるだろうか。
 詩に「祖竜身在魂先飛(祖竜=始皇帝、身は在りて魂先に飛ぶ)」とあるのは、秦の始皇帝が張良に、重さ百二十斤の鉄槌で狙撃されたときの驚きを表したものだ。実際に魂が飛んだのではない。
 人魂とされるものは、必ずや先に挙げた蜘蛛・五位鷺の類にちがいない。

 人の縊れた下の地面をただちに掘ると、麩炭(けしずみ)のようなものがある。これは魂が地下に入ったのだという。にわかに死んで、しかも頭を絞めたことによって、魂が急に下り、地中に陥ることもあると…。
 しかし、麩炭のようなものは魂が宿っていた肉であろう。魂そのものとは言い難い。
 魂はすべて、人の手に入るものではない。元の王先生は、人をたぶらかして殺し、その魂を取って奴婢のように召し使い、人の家に遣わして災いをなさしめたなどという。語るべきでない怪説だ。
あやしい古典文学 No.1841