中山三柳『醍醐随筆』下より

訝しいこと

 宇治へ行ったついでに、茶師の上林峯順のもとに立ち寄ったとき、峯順は語った。
「いつぞや私に、鯛を送ってくれた人があった。その鯛を料理人が庖丁を入れると、腹中に大きな石が二つあった。二尺に満たない魚で、口の広さは二寸ばかりなのに、八九寸の丸さをした石が二つもあったのだが、どのようにして入ったのか。病気で体内に生じたのかな」
 私が、
「人の病気には体内に石ができるものがあるが、魚のことは知らない。今、その石はあるのか」
と言うと、箱から取り出して見せてくれた。
 青色の美しい石だった。

 また、私の親しい侍の家で、馬が卵(かいこ)を産んだ。
 これも石で、木の年輪のような紋様があった。周囲八九寸ほどのものを、六つ産んだ。
 木紋があることから考えて、糞の塊ではないかと言う人もあったが、固くて重く、割ろうとしても砕けない。
 『本草綱目』には、「六畜、すなわち馬・牛・羊・犬・豚・鶏の六種は、みな卵を産む。名づけて『鮓答(さとう)』という」とある。この馬の卵も鮓答ではなかろうか。

「元和年間の大阪城御普請のとき、大石を割ったら中から小蛇が走り出た」と、その場で見た人が語った。「外から入りようがないから、内で生じたのだろう」とも言った。
 竜は形を縮めて木石の内にも隠れるというから、その小蛇は竜だったのかもしれない。訝しいことだ。じっさい、推し量れないことはほんとに多い。

 鷹に「鼻蟲(はなむし)」という病がある。水を飲むときに入るのだろうか、鼻の中に蛭がいるのだ。蛭は大きく、鼻孔は細い。よく見すまして、先を曲げた針を鼻孔に入れて引き出すと、蛭は引かれて糸のごとく細くなって出てくる。
 出ても、すぐまた鼻を蛭が塞ぐ。鼻の空所に五つも六つもいるのだ。

 鼬を竹筒に押し込むと、身が軋るほどぎゅうぎゅうでも、筒の中で身を翻して走り出るのも意外だ。

 ある人が、家を改築しようと門を崩した。
 「家内安全」の護摩札などが多く打ってあるのを取り外し、札が割れて釘の残ったところを見ると、一尺ばかりの蜈蚣(むかで)の真ん中を、釘で打ちつけてあった。これはきっと、札を打つときにたまたま蜈蚣が下にいたのだろう。
 札に書かれた年月を見るに、二十余年以前だった。しかし蜈蚣は、いかにも健やかで、頭を上げ、手足を動かしていた。
 二十余年、死なずにかえって成長したのだろうか。その長い期間、飲食しなかったのか。訝しいことだ。
あやしい古典文学 No.1842