只野真葛『奥州ばなし』「狐火」より

狐火

 七月の半ば頃、鮎がたいそうよく獲れる時分のこと。

 夕方から雨がいとまなく降るのを見て、小姓の者二名が相談した。
「今宵は、漁場の持主である川主も、魚獲りに出ないはずだ。さあ、密漁に行こう」
 そうして孫沢のほうで川漁に入ったのだが、あたりは狐火がさかんに燃え、左右の川岸を上り下りして、どれほどの数か知れないほどだった。
 『狐どもめ、魚を食いたがりやがる』と腹を立てながら、だんだんと川を上っていくにつれ、魚の獲れることおびただしい。『大魚籠いっぱいになったらやめよう』と思いつつ網を打っていると、川主の家がある川上の方角で、大きな篝火をたく影が見えた。
 二人は『もしや、この雨にもかかわらず川主が漁に出たか』と危ぶみながらも、もう少しで魚籠がいっぱいになるからと、魚を獲り続けた。『暗い夜だから、川の中までは篝火の火が届くまい』とも思っていた。
 ところが、篝火の下から人がひとり、松明をかかげて川に入ってきた。「夜とぼし漁」をするらしい。『これはまずい』と動揺したが、『相手は一人、こっちは二人だから、見咎められても、なんとか逃れられるだろう』と心を静めて出方を見ていた。
 そのとき小姓の片方が、
「あれは人ではないぞ。持っている松明の火が上にあるばかりで、下の水に映っていない。化物だからだ」
と見破った。
 この言葉でもう一人も火をよく見るに、たしかに怪しい。二人が川の中に立ったまま落ち着いて待っていると、相手は一間ばかりの間近まで来て立ち止まったが、化かし損ねたと気づいたか、人の形はパッと消えて、火ばかりが宙を飛び、岸に上がった。
 小姓たちは、
「狐が化かすのを、じかに見たのは初めてだ」
と人に語ったという。

 正体を見破ったのは、梅津河右衛門という者だった。真夜中の川の中でも物に驚かずふるまったのは、大したものである。
あやしい古典文学 No.1847